
妄想鉄の歴史(妄想鉄道/架空鉄道の歴史)
序文
日本は鉄道趣味者が多い国である. 列車に乗ることを楽しむ「乗り鉄」、列車の撮影を楽しむ「撮り鉄」、鉄道模型趣味の「模型鉄」や鉄道グッズを集める「収集鉄」、さらには間もなく引退する旧型車両ばかりを追いかける「葬式鉄」などなど…. そしてその背景には何よりも鉄道が公共財として広く認知され近代以降広く旅客輸送の手段として利用されて来たこと、そして一部時期を除いて鉄道が軍事施設として秘匿されるようなこともなく広く大衆に公開される存在であったことが大きいだろう. 日本国内で流通する地形図では(Google地図の日本国内もそのような対応がなされている)鉄道が太線で描かれ、一見して鉄道ネットワークが認識しやすくなっている. これは日本人には当たり前に思えるかもしれないが世界的には稀有なことである. Google地図の他国を見れば、多くの国では鉄道路線は非常に細い線で描かれ縮尺を少し小さくすると地図から消えてしまうため、事実上国土全体の鉄道網を構造的に理解するのは困難な事例が多い. Google地図の日本国内でもバス停は相当に地図を拡大しないと出て来ないしましてやバス路線網を表示させようという機能は実装されていないが、それと同じようなものだと理解すれば良いだろう. なぜ日本では鉄道がそれほど交通軸として重要視されて来たのか. 日本は山がちな地形の中で江戸期には海運が長距離物流の主要部分を担っていた. 特に岩場の連続する日本海側では前近代の広域交通路と言えば海路であり、陸路の発達は明治期を待たねばならなかった. そこで明治期に入るとまず鉄道が陸路の交通・運搬インフラとして台頭し、遅れて自動車産業の興隆を経て道路の整備がなされていく. 日本の国土形成、あるいは陸路インフラの形成において鉄道が主要な役目を担った時代が長かった背景にはおそらく地形的制約の中で前近代には陸路を通すよりも海路の方がコストが低く道路の発達が遅れていたという事情が絡んでいるだろうし、その後の自動車産業の興隆に合わせた道路整備への異常とも言えるテコ入れと鉄道への冷遇も含めて、日本の陸路インフラの歴史は世界的に見れば希少なものと理解できるのではなかろうか.
さて、話を戻すと、日本は鉄道趣味者の多い国だ(2回目). その中で乗り鉄、撮り鉄といった消費的趣味のみならず、「妄想鉄」(妄想鉄道、架空鉄道とも称される)なる趣味者が一定数いるのは、私は特筆に値することだと考えている. 妄想鉄とは何か. 私は個人的に音楽関係の趣味の知り合いが多いこともあり、妄想鉄について聞かれるとこう答えるようにしている. 「音楽で言う鑑賞が乗り鉄、レコード集めが撮り鉄や収集鉄だとすれば、妄想鉄とは作曲、つまりコンテンツを作成する鉄道趣味です」と. あらゆる文化には創造と消費があるが、鉄道趣味においては現実に存在する鉄道の消費的側面が趣味化されることが圧倒的に多い. しかしそこに飽き足らず創造者として鉄道を生み出そうという向きが出て来るのは鉄道趣味者の裾野が広い本邦ならではだろう. とはいえ実際に鉄道を敷設するとなると趣味の範囲を超えて来るから、趣味としての鉄道の創造となると、庭園鉄道などを除けば多くは車両、時刻表などのコンテンツ創造になる. いや、これは音楽も同じで、作曲者が残すのは紙とペンを使った譜面に過ぎない. その譜面に記された音を現実に移すのは演奏者である. 鉄道の場合実際の敷設に移すのは音楽の演奏程にも容易ではないが、それでもコンテンツ創造に命を懸ける作者が一定数いるのは、まさにそこに鉄道を生み出したいという欲求があるからに他ならない.
日本は鉄道趣味者が多い国である(3回目). しかし、私は今後この国の鉄道趣味者は減っていくだろうと想像している. かつてはなくてはならない公共インフラと認識されていた鉄道は人口減少時代にあって社会のお荷物と認識される、あるいは政府やオールドメディアがそうした認識を社会に醸成しようと躍起になっているように見受けられる. メディアが鉄道趣味者を滅多打ちに叩き、公共インフラを趣味の対象にすべきではないとの言説を広め、さらには(鉄道に限らず)生活に必要でない趣味は全て不要で迷惑なものだとの認識も国民の間に広がり始めている. これは言い換えると文化的活動の完全な否定であり人口が減り経済的に縮小して行く中でミクロ経済的な選択と集中の議論をマクロ経済に適用して社会的余剰の切り捨てと社会の不採算部分の排除を行おうとする動きであり、私としてはその先にたどり着く社会の在り方に強い危機感を覚えているが、それが国民の総意ならどうすることもできない. 恐らく今後鉄道趣味者は魔女狩りのように狩られて総数を減らされ、その中で文化的趣味の頂点にもあたるコンテンツ創造を担う「妄想鉄」もその灯を消される日が来るだろう. そんなことを予想しながら、拙稿にて本邦における妄想鉄の歴史について簡単ながら記し、後世に残る記録としたい. 20世紀末から21世紀初頭にかけて、日本という国に輝いた鉄道趣味の頂点についてその記録を残しておきたい. なお、言葉というものは概念に力を与えるものだ. ある一定範囲の趣味者をカテゴライズしてしまうとその中身が均質に見えてしまうことには注意が必要だろう. 特に昨今オールドメディアが一部は視聴率稼ぎのためもあろうか、攻撃の的にすることが多い「撮り鉄」などその筆頭で、そこには駅ホームで記録的な車両写真を撮る人から雄大な風景や沿線の人との関係を主題にしたような作品を撮る人まで相当に広い範囲を含むことに特段の留意が必要であり、「撮り鉄」という言葉の含む範囲にはおよそオールドメディア、というより非鉄民の目には留まらないような山の中、川の中、海の中でバズーカの如き望遠レンズを構えているような面々も相当数いることは記しておかなければならないだろう. 妄想鉄もまた然りで、その中には様々な趣向を持つ人が包含されることにご留意頂きたい. それでもどうしても本稿で扱う「妄想鉄」、「架空鉄道」がある一定の範囲に限られてしまう可能性については、私の理解と認知の限界としてご容赦頂きたい. また、そもそも論として私は妄想鉄作者として他作者様との物理的交流が多い方でもなければ、永らくこの趣味の界隈の中心的な集まりに顔を出しているわけでもない. たとえば趣味者の間で「喧嘩津」と称される埼玉県民活動総合センターで定期的に開催されている日本架空鉄道会議にも出席したことはないし、これまで顔を合わせて話したことのある妄想鉄作者様も両手の指で事足りるくらいしかいない. そのような立場でこんな文章を書くのは当然おこがましいし、何をでたらめなことをというご指摘も多数あろうと覚悟している. とはいえ一方で、これまでウェブ上で公開されている妄想鉄、架空鉄道史は概ね2000~2010年代までの記載で止まっているものがほとんどであり、その後の経過を含む大幅な補完が必要な時期になっていると考える. はじめに、これは界隈の辺縁に位置する一妄想鉄作家が、あくまで情報には疎い立場であることを承知の上で後世に何らかの記録を残すことだけを目的として記すものであること、そしてそれは過去に公開されている文章から多くを引用した上で自身の見聞きしたことを追記して行く作業であることを明記しておきたい. また内容に誤りがある場合には是非ご指摘を頂ければ幸いである.
妄想鉄/架空鉄道のコミュニティ史
■OKET刊行会からのVRS発足、VRSと日本架空鉄道協会(初代)の時代まで(1988~2001)
「妄想鉄」、「架空鉄道」という言葉には当然実在しない鉄道に関する全ての趣味が包含されるべきで、たとえば「自由形模型」と称されるような、既製品の模型を改造、あるいはゼロから模型を製作することによる想像上の車両の鉄道模型趣味、といったものも広義での「妄想鉄」、「架空鉄道」に含まれるだろう. また自由形模型に限らずとも昭和期から自身の鉄道模型レイアウトに独自の路線名、会社名を冠している趣味者は多く、「〇〇鉄道」と銘打ったお手製レイアウトに既製品の列車を走らせていた、というような例まで含めば「妄想鉄」、「架空鉄道」の起源はいよいよ曖昧になって来るのは当然のことである. しかし明確に想像上の鉄道であることを銘打って同人誌を発行したサークルとしては、遠坂拓氏が関わったOKET刊行会がまず挙げられる. これは1988年に遠坂拓氏が友人と東武熊谷線廃線跡を探訪したのを契機に「遠坂鉄道」の構想を始め、後に所属高校にて同好の士とともに立ち上げたサークルで、当初は「大沢急行」・「関北電鉄」・「遠坂鉄道」・「東上鉄道」(後にベイコーポレーションと改称)の4架空鉄道にて結成され、それらの頭文字からOKETと命名されている1). 後に同じ「OKET刊行会」の名称のまま「上武鉄道」が参加している. 1993年3月に「OKET時刻表」を刊行、1994年4月からは「OKET」と改称して刊行を継続した1). 遠坂氏の山形大学進学後はOKETとしての活動は停滞するものの遠坂氏自身が1995年に山形大学で「山形大学鉄道経営研究会」と称する架空鉄道サークルを立ち上げて活動を行っていた. 山形大学鉄道経営研究会は遠坂氏の「遠坂鉄道」の他「あんそく鉄道」、「信州ふれあい鉄道」、「TAKO電鉄」、「東北旅客鉄道」、「新潟旅客鉄道」が集まって結成され、後に「山鶴ほのぼの鉄道」と「新東海鉄道」が参加し(山鶴ほのぼの鉄道は後に脱退)「Anti E」という機関誌を発行していた. その後遠坂氏が大学を卒業すると、同氏を介してOKETと山形大学鉄道経営研究会が融合し、1998年にメンバー制コミュニティサイト「VRS」が開設された. このVRSは2000年3月にメンバー制ではない架空鉄道コミュニティサイトとしてリニューアルされている1).
一方でVRSがまだメンバー制コミュニティサイトであった1999年には「湘南急行電鐵」の翔氏、「帝王電鉄」の豪徳寺龍太氏、「関東急行電鉄」など「東都銀行グループ」の川崎隆也氏が中心となり、会員制ではない、誰でも使用できる架空鉄道コミュニティサイトとしては初めての存在となる「日本架空鉄道協会」(初代)が開設される. 非メンバー制のコミュニティサイトではあるが、協会への加盟に際しては運営サイドへの申請を要し、自社架空鉄道のWebサイトを開設していることと、申請が認められた場合には自社サイトのトップページに「JAVIRAS共通トレインカード」 と称する当時実在鉄道で使用されていたような(例:パスネット、スルッと関西etc.)磁気式プリペイドカードを模した画像と協会へのリンクを貼る必要があった.
先述した通り2000年以降はVRS、日本架空鉄道協会(初代)ともに非メンバー制のコミュニティサイトとして界隈の双璧を形成することとなるが、前者は運営側の参加了承を必要としない自由登録を特徴とし、後者は運営側の参加了承を必要とする形であったために、それぞれの問題も露呈したようである. VRSでは運営側によるガバナンスが緩いためにコンテンツとしての質が低い参加者が増え、その中で特に「プレスリリースの乱発」や「相互乗り入れ」、「車両の譲渡」など、それぞれのコンテンツが充実しているとは言い難い作者間での表層的な情報の交換が目立つようになり、各自のコンテンツの深化が疎かになっていると指摘されるようになった. 最終的には2001年9月11日の米国同時多発テロに際してこれを採り入れたプレスリリースが乱発したことに際して不謹慎である、などの議論が噴出したことが契機になりそのわずか2日後にVRSは閉鎖される運びとなった2). なおVRSはその後後継サイトである「架空鉄道(仮)コミュニティ」に引き継がれた(その過程でVRS閉鎖の端緒となる掲示板書き込みを行ったguma氏がまずVRS後継のサイトとして「バーチャル企業連合」を立ち上げたが参加者が現れることなく消えたという1))が、架空鉄道(仮)コミュニティはコミュニティの中心となることはなかったようである1). 一方の日本架空鉄道協会(初代)は運営側の権限が大きいためにある程度参加者の質が保たれる傾向にあり、実際運営側の判断で一部参加希望者には謝絶もなされていたようだが最盛期には100程度の参加者が登録されていた1). しかし一方で運営側にいる翔、豪徳寺、川崎氏らが架空鉄道サイトを濫造(実在鉄道路線を名前だけ架空鉄道に変えたものが多かった)する傾向が見られるようになり、2001年夏に「2ちゃんねる」上に「ええ架空鉄道。」スレッドが立てられると日本架空鉄道協会(初代)運営者による恣意的な支配に対する猛烈な批判が巻き起こり1)、後に多くの参加者の支持を得られなくなったのか、サイト閉鎖に至った.
■「ええ架空鉄道。」スレッドにおける議論とその衰退、堀田事件(2001~2003)
日本架空鉄道協会(初代)が発足した1999年にはインターネット上に匿名掲示板「2ちゃんねる」が開設されていた. その中で2001年8月10日には「ええ架空鉄道。」と称するスレッドが立てられたが、先述した同年9月11日の米国同時多発テロに端を発するVRSの混乱を経て、実質的にVRSに参加していた架空鉄道趣味者が敢えて匿名性を出さず固定ハンドルネーム(コテハン)で架空鉄道について議論する場となり、事実上の架空鉄道コミュニティの中心となっていった1). この「ええ架空鉄道。」スレッドにおける議論は、プレスリリース主体の投稿が多く肝心のサイトコンテンツはひどい場合には路線名と簡単な路線説明だけというような参加者も多かったVRS時代になおざりにされがちであった架空鉄道コンテンツの深化が模索され、より見栄えのする架空鉄道サイトの増加につながったとされる2). 一方で議論の内容が専門的になり過ぎて必ずしもついていけない参加者を多数生み出したこと、また一部の固定ハンドル使用者が事実上スレッドを牛耳る形となり固定ハンドルを名乗る程の内容を投稿できない者の不満を産むこととなった1). 2002年4月24日以降「コテハン批判」(固定ハンドルネームによる投稿が幅を利かせていることに対する批判)がなされ、固定ハンドルネームで活動していた多くの作者が同スレッドを去り、結果として同スレッドは架空鉄道コミュニティの中心としての地位を失い、コミュニティの中心は東海氏の「東海電鉄」サイト内に「したらば掲示板」のサービスを用いて開設された「鉄道架空板」に移って行った1). また同じく2002年には「架空鉄道チャット」と称するチャットが開設され、こちらもフルタイム性の高さを活かして「架空鉄道夜話」(2003年前半)といった企画が開催されるなど賑わった. この頃、2回の「架空鉄道最萌トーナメント」が行われている。第1回は2002年7月11日~2002年8月12日にかけて2ちゃんねる上で開催され、当時複数人による集団制作で話題になっていた、「関西電鉄」が優勝、第2回は2003年1月13日~2003年2月15日にかけて鉄道架空板上で開催され、ええ架空鉄道スレッド全盛時代に名を馳せた「東海電鉄」が優勝している. こうして鉄道架空板や架空鉄道チャット上で盛り上がりを見せていた架空鉄道界隈であるが、2003年7月には「通りすがりの堀田」を称する者により鉄道架空板や架空鉄道チャットに対しての執拗な荒らし行為が行われ(「堀田事件」と称される)人が去り、その後双方とも残存はしたものの架空鉄道のコミュニティとして機能することはなくなっていった.
■架空鉄道NAVIの登場と日本架空鉄道協会(2代)、日本架空鉄道会議の発足(2001~2018)
ええ架空鉄道。スレッドの中で、むしろコミュニティサイトという機能よりもポータルサイト機能に絞った方が良いのではないか?という意見が出た. これを「西日本急行」を制作していた隼人氏(当時、後にハンドル名を改称)が「架空鉄道NAVI」という形で形にした. 架空鉄道NAVIは2001年10月27日と、米国同時多発テロに乗じたVRSの混乱から比較的早い段階で開設されており、架空鉄道界隈最大のポータルサイトとして機能した. 架空鉄道NAVIは自身で登録する形のポータルサイトで、運営側の了承を必要としない、コミュニティ機能を基本的に有しないなどの特徴を有しており、それまでのコミュニティサイトや掲示板に比べると実に息の長い活躍をした. 2011年8月には架空鉄道NAVI上に「民鉄協の架空鉄道版を結成しませんか?」とするトピックが立てられ、その後これに興味を示した趣味者の内で2012年に「日本架空鉄道協会」(2代)が発足する. 日本架空鉄道協会(2代)は日本架空鉄道協会(初代)とは全く関係のない組織ではあるが、運営側による参加了承を必要とする点で初代の運営方法と近似するところがあり、後に更新が滞るようになると架空鉄道趣味者の交流の場としての機能を弱めていくことになる. 2018年11月1日には「平和文化鉄道」の新平氏を運営代表、「太陽電気鉄道」の武市氏、「新都市グループ」のしげ氏、「京名電鉄」の餅屋氏を運営会員とする新組織が発足しているが、これに伴って一旦それまでの登録会員を全て削除するなど会員の整理が行われている. そしてこの架空鉄道協会(2代)であるが、新組織発足に伴ってある程度の会員更新などは行われたものの(私の奥武鉄道もこのタイミングで参加している)2018年12月5日を最後に更新されることはなく2)、コミュニティの中心としての立場は失われている. その他、こちらは妄想鉄、架空鉄道を専門に扱っているサイトではないが、「Rail Search」の中に2007年2月以降架空鉄道のコーナーが作られており、各作者が自社を短文で紹介する形で使用する、自己登録式の紹介サイトとして機能している. とはいえこちらも界隈の全体をカバーするには至っていない3). こうしてネット上の架空鉄道コミュニティ/ポータルサイトは持続的にコミュニティ機能を維持できずに推移したが、一方で2006年から「Twitter」(現「X」)のサービスが開始されると、多くの妄想鉄、架空鉄道作者がTwitterアカウントを保有しTwitter上で交流を重ねるようになっていったため、ある意味では相互コミュニケーションのための特別な“場”が必要なくなり、妄想鉄/架空鉄道作者コミュニティーが拡散、個別化して行く一因にもなった.
ネット上のコミュニティ形成とは別に、架空鉄道作者が実際に顔を合わせて交流する場として2007年から「日本架空鉄道会議」が行われるようになっている. こちらは「埼玉の架空鉄道」の市野川氏が主宰して年に3回行っているが、特段の参加資格を設けず、会で何をするかの定めも特段に設定しないオープンな議論の場として賑わっているようだ. 主催の市野川氏自身「趣味者同士直接的に深入りした会話を楽しむ場所、と言うよりは他の架空鉄道趣味者と会える場所、としての定期大会継続を模索していくつもり」と表現しており、その思想に沿った場になっているようである1).
■架空鉄道NAVIの衰退と空想鉄道の賑わい、かにれいる事件(2010~2020)
架空鉄道NAVIはもとよりコミュニティ機能をほとんど重視していないポータルサイトであったが、掲示板機能を有しており、これが末期には外国語のspam記載で埋め尽くされるようになっていった. 2010年には多くの架空鉄道作品を手掛けているサマンサ氏によって「架空鉄道ジャンクション」4)が開設される. これはサマンサ氏の独自調査によるリンク集で、リンク先サイトの了承を得ていない. 事実上サマンサ氏の個人的なサイトリンク蒐集ではあるが、この時代の架空鉄道作品を網羅的にカバーしており有用な資料となっている.
2014年10月27日からは「空想鉄道」と称するウェブサービスが始まる. こちらは比較的簡易な操作で自身の想像上の鉄道路線図を実際の地図上に引けるというもので、自身でウェブサイトを運営するほどのコンテンツ作成ができない人や、また自身のサイトはありながらも路線図を実際の地図上に落としたい人など、多くの妄想鉄、架空鉄道ファンに利用されている. しかし利用しやすさと相関するようにネットリテラシーの未熟さを呈する者も多いようで、すでにウェブサイトで公開されている他社の作品を勝手に登録してしまう者も現れるなど、良くも悪くも玉石混交となっている感がある. 私自身は空想鉄道を利用していないが、奥武鉄道と同一、あるいは酷似した内容の同名登録路線を2019~2022年にかけて4名に合計6件登録されており、こちらの権利を示した上で注意喚起を行っている. ただしそのような例に限ってまともなお返事を頂けたことはないのであるが…. 2023年10月18日からは空想鉄道のサイトがリニューアルされ、2025年4月に至るまで“新線”の登録が続いている.
2010年代前半~半ば前後の事件として「かにれいる問題」と呼ばれる事案が生じた. 同人サークル「七郷空想事業部」は複数の作者が「七海道」という共通の架空世界においてそれぞれ架空鉄道を運営し、相互に規格の共通化や相互直通運転や営業協力を行う「InterCityNetworks(略称ICN)」を展開している. 彼らはその活動を「InterCityNetworksm〇〇〇Summer/Winter」といった書籍にして年2回発表している. 複数作者が同一世界観、統一車両規格を前提に創作を進めていることで注目されており2003年から創作がなされているが、実際には全参加者が一堂に会して会議を開いたことはないというのもまた特徴である. 作者の生業や生活環境の変化等による多忙で妄想鉄、架空鉄道の創作が停滞、中断することはどの作者でもしばしば見られるが、七郷空想事業部ではこうした事態を回避すべく水面下で管理者交代を進めていることも注目される5). ここである時かにれいる氏というユーザー(通称、蟹)がICNの世界観を無断借用した二次創作を行った6). 蟹氏はメールや即売会などでのICN運営側への直接的な問い合わせも行わず、pixivやブログなどであたかも関わりを持ちたいかのような素振りを見せた絵や原作者の許諾を得ずに原作改鼠しただけの絵をアップロードしながらも、「一切関係が無い」と主張した5). この二次創作には不適切な内容が含まれていたため七郷空想事業部は作品世界設定を利用しないよう申し入れた6). しかし、それを受けた蟹氏は作品世界の名前を少し変更するなど、小規模な修正を加えただけで「別のものである」と主張し、さらに七郷空想事業部に対して「提案」と称して干渉行為を行ったり、逆に七郷空想事業部のICNを「類似粗悪品」と中傷したりするなど、七郷空想事業部、ICNを貶める行為を継続した6). しかも蟹氏は何度となく「もう相手にしない」と宣言するも、数時間から数日後には「某架鉄」などといってすぐにICNへの干渉行為(本人は名前を出さなければ何をしようが干渉行為とは看做さないらしい)を再開した7)(引用元7)では個人名称を出しての言及はなされていないが他記事との関係から本件に関係することと理解される). 2015年10月に別サークル「窓際の掘っ立て小屋。」サークル主の協力を得て、東京多摩某所において七郷空想事業部担当者と蟹氏が面会し、蟹氏による謝罪文の提出、誓約書への署名捺印をさせ、運営への干渉行為を行わない旨の確約を書面で取り交わし七郷空想事業部の架空鉄道設定への干渉問題を収束に導いた5)とされる. 文献によっては、ある時オフ会のような形で関係者が集まるも蟹氏は自らの主張を約1時間にわたり主張するのみで相手側の意見を聞く気はないことを表明し、一次創作側の主催者は一時期創作活動ができなくなるまで追い詰められたともされている7)(引用元7)での個人名の扱い、同). なおこの蟹氏は実はその10年以上前から様々な妄想鉄、架空鉄道に対して干渉行為を行ったうえで「これ以上他人に迷惑をかけるのであれば両親に対してネット上でのあり方を指導してもらう(原文ママ)」旨の内容証明郵便を送付した実績もあるとのことであった7)(引用元7)での個人名の扱い、同). 蟹氏にまつわる一連の騒動は妄想鉄、架空鉄道コミュニティ史の大きな流れを決定づけるものではないにしても、様々な年齢、背景を持つ者がある種平等に発言権を持つインターネット空間において権利、義務、礼節といった社会ルールを如何に遵守しトラブルを防いでいくかという観点において大きな課題を突き付けたと言えよう.
■コロナ禍での盛り上がりとその後(2020~2025)
2020年のコロナ禍は多くの学生、社会人が在宅待機を命じられたことで、妄想鉄、架空鉄道界隈の大きな発展を見ることになった. 後述する表現技術史における新規表現の多くがこの時期に開拓されている. 車両表現では私、蒲生暁径の「実写系架鉄」も多くの実写写真がこの時期に生み出されているし、それが下野氏の創作に伝わったのもこの時期に当たる. また「奥武鉄道」で路線断面図を公開したのもこの時期であるし、列車時刻、運行面でも「駿河急行」、「下越急行電鉄」、「王武電鉄」、「大利根急行」などを中心に新規技術が盛り込まれたのもこの時期である. 武藤臼氏の「ときわ急行」で国土地理院地図ベースの地図が発表されたのもコロナ禍であった. この辺りの表現技術史の詳細については後段で詳細に触れることとしよう.
2019年には妄想鉄、架空鉄道のポータルサイトとして一時代を築いてきた架空鉄道NAVIが閉鎖されるが、その閉鎖も影響し、ちょうどTwitter上でのやり取りから2020年1月には架空鉄道のデザインポータルサイトを標榜する「KATEMATO」が「京崎急行電鉄」のNIWAKA氏によって開設される. KATEMATOは架空鉄道NAVIとは異なって管理人承認型のポータルサイトであり、各社の内容についてはWiki機能を使用して各社が独自に編集できる仕様となっている. 主に妄想鉄、架空鉄道のビジュアルを紹介することを重視したのが特徴で、車両デザインや駅名標など色彩感あふれるポータルサイトとして80を超える鉄道が登録され、コンテンツの視覚的な“映え”を競い合うようなサイト構成のため必然的に路線名と路線概要しかない、というようなかつてVRSで見られたようなコンテンツの少ない社は登録がなされず、ある程度のまとまったコンテンツ作成がなされた社が揃った. 2020年4月にはサマンサ氏の運営していた架空鉄道ジャンクションが更新を終了したことを受け、その公式後継サイトと謳って「NK電鉄」などを運営する宮﨑拓海氏が「架空鉄道ターミナル」を立ち上げた. こちらは従前の架空鉄道ジャンクションと異なり管理人である宮﨑拓海氏に連絡し登録を受ける形のポータルサイトである. 登録制の煩わしさに加え、この頃には先のKATEMATOも賑わいを見せていたことや作者相互のやり取りはTwitterを通して活発に行われていたこと、単に社名を登録するのみのポータルサイトであれば自己登録制でより気軽なRail Searchなどでも一定の役割を果たしていたことから残念ながら架空鉄道ターミナルが妄想鉄、架空鉄道ポータルサイトとしての中心を担うことはなかったように思う. 2021年4月頃には「日本急行電鉄」作者(ハンドルネームの名乗りなし、後に城南の貴公子と名乗る)を代表、「塩瀬日本東明HD」作者(同じく名乗り無し)を副代表とする「架空交通連盟(FTA)」が開設されるが、加盟社は10社にとどまり2024年8月に活動停止に至るまで大きく加盟社数を伸ばすことはなかった. これも架空鉄道ターミナル同様に申請、承認の手間の割にこの時代にあって残念ながら同サイトならではの参加メリットがなかったことが大きいものと思われる. ただし、後から振り返ればSNS全盛の時代にあって需要のないコミュニティサイトであったという見方はできるものの、架空鉄道ターミナル、FTAともに10代の若者作者が架空鉄道NAVIなき後の界隈をまとめようと試行したことは特筆に値するだろう.
2021年6月6日には管理人不明(名乗り無し)の「架空鉄道リンク」が開設された. かつてのサマンサ氏による架空鉄道ジャンクション同様に管理人による独自調査を元にしたリンク集(ただし漏れがある場合管理人に連絡を取っての自薦、他薦も認めている)であり、それでいて膨大な量のリンクをまとめたことで妄想鉄、架空鉄道のリンク集としては他の追従を許さないものとなっている. 架空鉄道リンクは事実上2025年の現在に至るまで最も網羅的に妄想鉄、架空鉄道サイトを集めたリンク集となっているが、こちらは一方で閉鎖されたサイトのリンクは随時独自調査により削除しているのも特徴だ.
Twitter(現X)などのSNSで主に交流が進む中で、コロナ禍前後以降の妄想鉄、架空鉄道ポータルサイト機能は各社が独自にコンテンツを作成し視覚情報として魅せて行くKATEMATOと純粋なリンク集でありその膨大なリンク数を強みとする架空鉄道リンクに収斂されていった. その一方で2017年から2019年にかけて池田百合子氏による「城東高速・沿線協議会」が発行する「架空鉄道トラベル2017~2020」各号が有償で頒布されたり、有償頒布による参加者間トラブルを防ぐ視点からも有償化を行わないネット上無料公開の電子書籍として妄想鉄、架空鉄道作品のオムニバスを刊行する試みも見られた. たとえば2020年8月25日には「瑞原急行鉄道」の晴凪氏が中心となって無償頒布される電子書籍である「#架空鉄道で旅行しよう」および「架空鉄道の歩き方」が2部構成で無償公開されており、それぞれ12社、11社が掲載された. 2020年12月18日には宮﨑拓海氏の編集による「架空鉄道名鑑」および「架空鉄道の窓辺から」(併せて「#架空鉄道を紹介しよう」企画と称した)がやはり2部構成のネット書籍として無償公開される. こちらはそれぞれ4社、3社が参加した. 晴凪氏の企画が各社同一書式で揃えた上で内容のみ参加者の裁量を持たせるものであったのに対し宮﨑拓海氏の企画は各社最大30ページを用いてどのような書式でも良いので自社を紹介するというもので、晴凪氏の企画は多くの作者の参加を集めた一方で宮﨑拓海氏の企画は参加者数は少ないながらも各社ごとの独自色や内容の濃いものとなっていた. 晴凪氏は自身でも瑞原急行鉄道サイトの中で妄想鉄、架空鉄道を舞台にした物語を多数発表していたが、2021年2月19日には同様の妄想鉄、架空鉄道を舞台にした文芸作品を集めた無償頒布電子書籍である「妄想鉄路」の第1号を発行、その後同誌は晴凪氏が主宰する「令夏鉄路社」を発行母体として2024年1月の第6号まで定期的に発行された. この令夏鉄路社はその名の通り2020年夏に発行された「#架空鉄道で旅行しよう」および「架空鉄道の歩き方」を起源と捉えており、①架空鉄道、妄想鉄道の創作ジャンルについて、普及や啓発を図ること、②架空鉄道、妄想鉄道の制作の一例を示し、同業者が少しでも参考にできるものを作成すること、③架空鉄道、妄想鉄道における「物語鉄」の振興を図ること、を旨としている8). またこの令夏鉄路社は同社の広報誌と位置付ける妄想鉄路の発行のみならず架空鉄道交流会も開催しており、2023年12月30日を初回として2025年5月18日の第5回まで、新大阪周辺において定期的に行っている.
本稿を執筆している2025年春時点ではリアルな交流としては日本架空鉄道会議や令夏鉄路社の架空鉄道交流会が定期的に行われており、また「信武鉄道」の天空鉄氏が開催する「架空鉄道ダイヤ学会」も賑わっている. ポータルサイトとしては架空鉄道リンクが定期的に更新されRail Searchの架空鉄道コーナーも細々とではあるが定期的に登録がなされているようだ. コロナ禍の一時期に盛り上がりを見せたKATEMATOは引き続き稼働しているものの過去に登録された者によるコンテンツ更新が中心であり、肝心の管理人であるNIWAKA氏がXアカウントも消し自身の作品である京崎急行電鉄のサイトも消してしまっているので、恐らくKATEMATOの管理や新規登録の承認はなされていないものと思われる. 空想鉄道はリニューアルされて引き続き登録を増やしており、X上のみでの作品公開などと合わせて独自のサイトを持たない比較的ライトな層に重宝されているようだ.
妄想鉄、架空鉄道の表現技術史
■初のウェブ架鉄にして高い完成度を誇った「北武急行電鉄」はShadeのCGで表現
日本におけるインターネットの始まりは1984年のJUNET (Japan/Japan University NETwork)に端を発するが、当時は東京大学、東京工業大学、慶應義塾大学を結ぶ回線が設置されたものであくまで学術目的の試験的な運用であった. その後1993年に日本初のインターネットサービスプロバイダであるIIJ (Internet Initiative Japan)がサービスを開始、1994年にはダイヤルアップIP接続サービスが開始されるが、企業やアカデミア以外の個人レベルでのインターネットアクセスが始まるのは事実上インターネット接続機能が搭載されたWindows95が発売された1995年以降であろう. そうした中で恐らく確認できる中で初めてのウェブ架鉄である「北武急行電鉄」が1996年末に公開を開始している. 北武急行電鉄はCHAZ氏による作品で、当初は車両概要から公開を始め、運転台、走行シーン、駅舎などのビジュアルをCGで表現して行くとともに、路線図や車両諸元など鉄道の全体像から細部に至るまでを膨大な情報で見せて行くスタイルを採っている. CG作成には3D描画ソフトのShadeを用いており、何より豊富な走行シーンビジュアルが多くのファンを魅了した. 数は少ないものの実際の沿線風景を撮影した写真にCG画像を合わせたGIFアニメーションも公開されており、現実の土地と妄想鉄の世界観を連続したものとして示して行くスタイルも注目できる. 北武急行電鉄はコンテンツ妄想鉄のはしりであるとともにすでに完成された巨大なコンテンツを公開しており、公開からおよそ30年を経た2025年現在から振り返ると当時のPCを用いた画像やホームページビジュアルにはすでに時代の変遷を感じるものの、今もって妄想鉄の古典としてその輝きを放つ存在だ.
■鉄道車両の視覚表現手法
この北武急行電鉄を鏑矢として多くの妄想鉄、架空鉄道サイトが世に生み出されていった. その中ではやはり少なくないサイトにおいて車両のビジュアルが重視されるのだが、妄想鉄、架空鉄道の風景を想像させるために必須である車両ビジュアルはこれまでいくつかの手法で表現されてきた.
まず代表的なのがマグロ絵と呼ばれる側面イラストだろう. マグロ絵という単語は図書館のyasu氏によれば「かつての架鉄スレで生まれた蔑称で、生気がない車両の側面画ばかりをずらずら並べた架空鉄道サイトを揶揄することば」であったという9). これに関してはサマンサ氏が「『架鉄サイトってどこも車両の側面図が市場のマグロのように並んでるだけだ』みたいなことを掲示板に書いたんだと思います」と振り返っている10)ので、恐らくはサマンサ氏の言なのだろう. 実際には側面および正面を描いたものが多く、特に日本架空鉄道会議などを経てか、いつの頃からかは不詳だがMicrosoft社の「ペイント」を用いて描く手法が広まっていった. 当初はその手法も未熟なものも多く車両のプロポーションも整っていないものが多かったようだが、「瑞霞電気鉄道」他を運営する水炭氏は自身のサイト「瑞想架連」でこのマグロ絵の描き方をまとめており11)こうした技術の標準化や日本架空鉄道会議等を通した技術の伝播によって質の底上げがなされてきており、PC自体のスペック向上も相まって2010年代後半からは非常に整ったマグロ絵を多数発表する作者が増えている. 特に先に紹介した餅屋氏の京名電鉄、武市氏の太陽電気電鉄や、月夜野考氏の「両得電鉄」などは膨大な数の質の高いマグロ絵を公開している(マグロ絵だけではないが)作品として名高い. 一方マグロ絵の中でややもすると若干異端に位置するのが私の作る「奥武鉄道」かもしれない. 元々日本架空鉄道会議に参加したこともなく界隈との接触が全くない中で生み出された私、蒲生暁径の奥武鉄道ではマグロ絵の描写にMicrosoftの「PowerPoint」を使用している. ペイント同様に図形のサイズ指定が詳細に可能であるため鉄道車両の寸法を正確に指定し整ったプロポーションで描画することができるばかりでなく、ある程度の手数は必要になるがグラデーションや影、また車両のわずかな汚れなども比較的容易に表現可能であるところはPowerPointの強みかと考えている. 特に旧型車の汚れを表現したいなどという向きには是非PowerPointでの描画をお勧めしたい.
マグロ絵のやや変形、発展的な形として、おぱく堂主人氏、白龍亭主氏、園部宗庵氏による「おぱく堂」が2001年4月から公開しているというウェブサイト上で鉄道車両を走らせる「電車走行キット」があり、おぱく堂自体は主に実在車両のコンテンツを展開しているものの、これを応用して架空の車両を走らせている作者がある. たとえば関岡グループ氏の「関岡電鉄」がこれに該当する. 関岡電鉄は遅くとも2007~2008年頃にはウェブサイトを有していたとされるが、その後サイト閉鎖に伴って2025年現在では元“直通先”であるACTIO371氏の「東静高速鉄道」グループのサイト内で、「思い出の関岡電鉄」として電車走行キットによるコンテンツが再現保存公開されている. そもそもの「電車走行キット」について述べるとさらに歴史は長くなる. おぱく堂のサイトによれば日本における「鉄道側面画 2D-CG 元年」は、1996年である、とのことである12). しばのぶ氏による鉄道スクリーンセーバTSVが1996年に、H.Kuma氏によるTB規格が1997年に誕生しており、世界的にも鉄道スクリーンセーバMM&MMが前年1995年に誕生しアメリカ版 TBとも言うべき TrainGif規格となる画像を Dan Klitzing 氏が最初に描きはじめたのが 1997年であることから、この辺りの年代がウェブ上の鉄道側面画CGであると同サイトは考察している12). その後1997年に登場したNetscape v4や追って登場したInternet Explorer v4(IE4)によって画面上の物を動かすことができるようになり(ダイナミックHTMLと総称された)JavaScriptを使った自動車レースゲームにも刺激を受けた作者が1998年頃からJavaScriptを用いて作成し、2000年代後半までかけてブラッシュアップして行ったのがこの「電車走行キット」とのことである. 「電車走行キット」はTKと略され、おぱく堂以外にもあとりえとき、Kakeyama's Train Illust Galleryなどにも広がり、実在車両の表現を主として利用された. まさにウェブ技術の進化の中で生まれて来たものであり、この「電車走行キット」自体は原則として実在車両に対するものであったものの、これが一部妄想鉄、架空鉄道作者の表現手法として採り入れられていた.
多くの作者がマグロ絵を車両映像の中心的コンテンツに据えている一方で北武急行電鉄同様に3DCGで数多くの妄想鉄、架空鉄道作品を生み出している作者に先述したサマンサ氏があり、現存するだけでも2005年の「愛野電鉄」から2025年現在構築中の「美加急行」まで二桁数の作品を世に出している. サマンサ氏のnote8)によればマグロ絵を批判したことが自身に跳ね返り自身のサイトで側面絵を描けなくなったので実写写真に架空鉄道車両を描く写真コラージュに走り、とはいうもののこちらもマグロ絵同様に手間がかかるためmyshadeによる3DCGに落ち着いた、としている. また精巧なCG写真による鉄道風景のビジュアル作成は月夜野考氏などにより解像度の高い画像の発表が行われている.
マグロ絵やCGと並び車両描画の方法として見られる第三の方法が実写写真だろう. サマンサ氏も初期に試していたという実写写真に上乗せする形での車両描画は同氏の「湘南急行電鉄」などにその片鱗(実在車両の一部をイラスト改変している)が見られるが、サマンサ氏自身が実写写真の合成には時間がかかるとしてその後myshadeでの描画に移行しておりサマンサ氏自身のサイトでもほぼ公開されなくなっている. 他に実写写真を用いる可視化を目指したものとしては偽朝臣氏の「寂景院」サイトにおける関東鉄道竜ケ崎線の画像などがある. その後みえのもけー氏の「名四鉄道」において実在鉄道写真の車両部分にイラストで妄想上の車両を描いたものが公開されているのが、サマンサ氏の湘南急行電鉄と比較的近い例と言えるかもしれない. 同様の、背景写真+列車イラスト、というような描画方法は澪島しま氏の「千代丘鉄道」においても一部に見られている. これらに対し2017年11月3日にサイトを公開した私、蒲生暁径の奥武鉄道ではサイト開設当初から実写写真の上にPowerPointで描画した名四鉄道同様の背景実写/車両イラストといった雰囲気の画像を公開していたが、間もなく実写写真の上にPowerPointで描画しその上にさらに他の実写写真から持ち寄ったパーツを無数に貼り付け色調や質感を整えることで事実上妄想鉄車両の実写写真と言える写真を作って公開するように変更し、これを「実写系架鉄」と称してこれまで数十枚の実写写真を公開し、2022年には本邦初妄想鉄の実写写真集である「回雁 妄想鉄 奥武鉄道 蒲生暁径 写真集」を刊行している. この「実写系架鉄」は奥武鉄道の他では2020年5~6月にかけて下野氏の「帝北電鉄」が採り入れ自社の車両紹介のために数枚の実写写真を公開しており、蒲生と下野氏が他社からの依頼を受けて実写化した他社車両の写真も少数発表されたが、実写系架鉄を進めるには版権の問題なども考慮するとまず相当数の自身で撮影した鉄道写真のストックがありかつ画像編集技術を有していることが必須となるため、2025年時点でも広くは用いられていない表現手法となっている. 技術的には「ウソ電」として実在鉄道車両のカラーリングや細部を変更した写真を公開することは鉄道ファンの中で以前から行われており、「実写系架鉄」はこれと同様の技術を妄想鉄、架空鉄道に持ち込んだものとも言えるだろう.
2023~24年ごろからはMidjourneyなどの生成AIの発達を受けてこれを用いた描画も好まれて行われるようになってきた. プロンプトを巧みに操って高画質なAI描画を行い続けている作者としては本業デザイナーと名乗るらすべっと氏やマグロ絵も多く発表している寂景院の偽朝臣氏がいるが、AI架鉄の多くはプロンプトに詳細を指定して出力させるため細部はAIに任せる形となっており同じ車両を複数画像で再現性を持って出力するのは一般的には困難になっていると考えられる. 私、蒲生暁径の奥武鉄道では視点を変えて、すでに相当量蓄積されている実写系架鉄の実写妄想鉄写真を利用してClips AIで動画化し、妄想鉄/架空鉄道界初と思われる妄想鉄の実写レベルでのプロモーション動画を2024年12月より公開開始し、2025年春現在同じ妄想上の車両群をマグロ絵―実写写真―実写動画一体でビジュアル提供する恐らく唯一の社となっている.
この他、マグロ絵に対する批判に対する一つの回答としては風景と絡めたり斜め方向から見たイラストを発表している妄想鉄/架空鉄道も少なくない. 色鉛筆による描画から漫画タッチのイラストまでその表現手法は多彩でありCGや実写とは異なる温かなタッチが人気を集めている作品も多い. たとえば作者不詳(ウェブサイト上で名乗り無し)の「浜急電鉄」では正側面図ではない車両の景色と交えたイラストが多数公開されており、これを用いて動かした動的コンテンツも公開されている(同名のマイクラ作品との混同に注意が必要である)し、澪島しま氏の千代丘鉄道も数多くの美しいイラストやイラストから作成した動的コンテンツを公開しており、その一部には背景景色に実写写真を使用している. 「南武急行電鉄」の春木氏はイラストとも写真ともCGともつかぬ陰影感のある沿線画像を公開しており、鉄道風景のイメージが豊かに湧くページ構成の助けとなっている(2023年以前のサイトに掲載されている. 2024年以降は新サイトに移行).
さらに、これは、独自のウェブサイトを保有しないケースが多いのでいわゆるウェブ架鉄の範疇とは分けて考えるべきではあり本稿ではごく簡単に触れるのみとするが、既定の確立されたソフトウェアを使用して架空鉄道世界を表現しているものに下記のようなものがある. mackoy氏が開発した鉄道運転シミュレーターである「BVE」は2000年から公開されユーザーが独自の鉄道路線を作ることができるシミュレーターとして人気を博した. 旧称はJR東日本255系電車の愛称から着想された「暴走ビューエクスプレス」(Boso View Express)であったが後にBVE Trainsm / Bve Trainsimに変更された経緯がある. 2020年9月にリリースされたBVE Trainsim 6までバージョンが更新されており、利用者の多くは実在車両を走らせる、つまりバーチャル空間での鉄道模型といった使途として用いているが、一部利用者が妄想鉄、架空鉄道の可視化のために利用しており、2025年現在最新版のBVE5のデータベースの中には40近い架空路線が登録されている13)し、当時のBVEと互換性を持たせた形で2009年にMichelle氏が公開したopen BVEでは外から列車を眺める、AIによる自動運転などの機能を追加装備しておりこちらにも70を超える作者の架空路線が登録されている14). 同様におかづ(木下直紀)氏が2010年からオープンソース化している3DCGシミュレーターである「RailSim」を利用する面々も多い. こちらも実在車両を用いる者が多い中、一部で妄想鉄、架空鉄道世界の表現に使用されている. またマルクス・ペルソンによって開発され2011年から発売されている「Minecraft」、通称マイクラと呼ばれる3Dサンドボックスゲーム上で架空の鉄道世界を展開する作者も多い. いわゆるウェブ架鉄とこれらの規定のソフトウェアを使用した表現世界は鉄道趣味の界隈としての交流はそこまで多くはないと思われるが、中には私、蒲生暁径の奥武鉄道とRailSimを使用した作者である荒川旅客貨物鉄道グループ(RDDDMS)が作品を交換した(RDDDMSから奥武鉄道車両のRailSimプラグインをプレゼント、奥武鉄道からRDDDMS車両の実写写真を返礼)ような事例も見られる.
■列車時刻など運行面
列車ダイヤは鉄道会社が旅客、貨物顧客に提供する商品価値の中心的部位を占めるし、当然OKET刊行会の時代から時刻表は妄想鉄、架空鉄道の主要コンテンツと目されて来た. しかし現実には一つの鉄道の全列車の運行をコンテンツ化するのは容易ではなく、ウェブ架鉄黎明期より一般的に妄想鉄、架空鉄道にはダイヤはないのが当たり前、とさえされてきた時期が長い15). その中で比較的初期から全線全列車の時刻表を公開していたのがpanzerfalcon氏の「南西急行電鉄」で、2003年に開設したウェブサイトで少なくとも2003~2004年頃には時刻表の公開を始めている(なお同サイトはその後2014年にtoratora.wikiのサービスにサイト全体を移行し、同サービスの終了に伴って2023年3月に閉鎖されている). それでも2010年代半ばから後半にかけて全線全列車の時刻表を公開していた作品は非常に少なく、南西急行電鉄以外に私の知る限りでは津田缶氏の「安芸灘急行電鉄」が2015~2016年頃から全線全列車の時刻表を公開していた他、水炭氏の瑞霞電気鉄道も2015年にサイトを公開し少なくとも2016年時点では全線全列車の時刻表を公開していた. またこれは書籍のみでの公開であるが池田百合子氏の城東高速鉄道が2015年にはすでに時刻表を刊行している. 恐らくこの辺りが2010年代半ばまでに全線全列車の時刻表を公開していた作者になるだろうと推定される. 2017年11月には私、蒲生暁径の奥武鉄道がまず平日ダイヤから全線全列車の時刻表に加えて車両運用を公開開始し、翌年には都市圏の土休日ダイヤも含めた全線全列車時刻表、車両運用を公開する. これは確認する限り初めての車両運用情報のウェブ公開であったと自負しているが、以前水炭氏には「分からないが他に誰かいたような気がする」との指摘を受けたことがある. いずれにしても800kmを超える路線長の全線に亘って、朝複数車両区から出て夜複数車両区に帰る共通運用ではない複数車種の車両運用を複雑な分割併合列車を含めて全て公開するのは当時としては異例のことであった. というのもその技術的背景として、2005年8月5日からtake-okm氏が作成し公開されていた列車時刻表⇔ダイヤグラム変換機能を有するソフト、OuDiaには車両運用を組むための補助機能はなく、diagram_mania氏がこれを発展させて秒単位での時刻表作成機能や車両運用を組むための補助機能を実装したOuDiaSecondが公開されるのが2017年4月であったため、2017年内にはまだ事実上車両運用を完成させているという妄想鉄、架空鉄道業者がほとんどいなかったのである. 奥武鉄道ではOuDiaを用いて時刻表、ダイヤグラムを組み車両運用に関しては列車の分割併合や貨物列車の機関車重連運用も含めて全て手作業で別途ファイル管理しているが、OuDiaSecondの登場によってよほど複雑な列車の分割併合などがなければある程度自動化して運用を管理できるため、OuDiaSecondの登場が妄想鉄、架空鉄道において列車ダイヤを構築する作者を増やしたとも言えるかもしれない.
列車運行面のコンテンツでの進化といえば、コロナ禍前後以降に急速な発展が見られた. 2019年12月頃には鉋木氏の「駿河急行」において初めてリアルタイム発車標が公開された. 駅にあるようなタイプの発車標画像を時刻表データおよび時計と連動させたもので、サイト上で列車に乗る時のあの高揚感を実感できる、という優れたコンテンツで、以降いくつかの作者に広まっていった. また、N氏、K氏、T氏の3氏が作成した「下越急行電鉄」では設定をN氏、ウェブ技術面をK氏、歴史考証をT氏が担うというスタイルを採っていたが、2020年のサイト公開時から妄想鉄、架空鉄道業界初めてとなる列車、運賃検索システムを実装し話題を呼んだ. ぬれ団子氏が2019年から公開している「王武電鉄」ではかつて大都市圏の鉄道で旅客向けに無償頒布されていたようなポケット時刻表を全駅分公開、後に同じぬれ団子氏が2021年以降?公開した「大利根急行」においてポケット時刻表に加えて経路・運賃検索機能の実装やダイクストラ法を使用した乗り換え検索システムの構築なども開始しており、高いウェブ技術に裏打ちされた運行情報提供を行っている. また「大利根急行」では紙の時刻表に準じた体裁の時刻表も書籍として刊行している. 正確な時期は不明だが2023~2024年頃からだろうか?先に記載した天空鉄氏主宰の架空鉄道ダイヤ学会にも参加する作者が増えており、2025年時点では妄想鉄、架空鉄道において全線全列車の列車時刻や運用を何らかの形で公開している作家は以前より明らかに増え、妄想鉄、架空鉄道コンテンツの中で列車時刻や車両運用といったコンテンツが重要な一角を占めてきていると言えるだろう.
列車の運行に関わる所でややコアなコンテンツとしては信号建植情報や連動図表がある. 特に連動図表の領域ではあおい氏の「北葉線」が古く、そこから瑞霞電気鉄道の水炭氏を経て「日ヶ丘鉄道」、「一洋急行電鉄」、「立京電鉄」など多数の妄想鉄、架空鉄道を手掛けるヒトデ氏に伝わるといった広がりを見せている.
■地図、路線断面図等
妄想鉄、架空鉄道の路線の表現の仕方として当初から圧倒的に多いのは色彩豊かな路線図、停車駅案内であり、中には実際の地図をレイヤーとして敷いた上に自社の路線を描く方法や吉田初三郎の鉄道鳥瞰図にインスパイアされたような近代風の路線地図を作成する作者も見られる. 路線図、停車案内は列車種別や停車パターンを視覚化する効果があり、地理院地図ベースの路線地図は路線の正確な線形が見えるので、ウェブ架鉄のパイオニアであるCHAZ氏の北武急行電鉄に始まり両方を出している作者も多い. やや変わったものとして国土地理院の25000分の1地図を合成してその中に架空の路線を組み込むという手法がある. こちらは2020年夏頃に武藤臼氏が「ときわ急行」において国土地理院地図に違和感のないように書き込んだ架空鉄道を含む地図を多数発表、これに触発され私、蒲生暁径の奥武鉄道でもごく少数ではあるが同様の国土地理院地図ベースの自社路線を組み込んだ地図を発表している. また、一部趣味誌に実在の路線データとして提供されているような路線断面図も路線の形を現す一つの方法だろう. 奥武鉄道では2020年6月30日に新宿~浦和間の路線断面図を公開したのを皮切りに、会津地区の峠越えなど一部区間の路線断面図の公開を何区間かで行った. 恐らくウェブ上での妄想鉄、架空鉄道路線断面図の公開は奥武鉄道が初めてではなかったかと思うが、その後少数ながら他社でも類似のデータをまとめている例がある. 路線断面図は技術的には自社路線の場所を決めた後に国土地理院のホームページ上で各所の標高を調べてこれを折れ線状にまとめる作業になるが、手間はかかるもののExcelが使えれば比較的簡易にできる上、これを行うことで正確な路線勾配計算が可能になるため、特に山岳路線を運営する妄想鉄、架空鉄道には路線のイメージを持たせる上で好ましいコンテンツではないかと考えている.
■駅を魅せる
鉄道利用者にとって駅は旅立ちの場であり、毎日の通勤通学の窓口であり、利用者目線で妄想鉄、架空鉄道を表現して行くにあたって駅の描写は欠かせないものと思われる. 最初期のウェブ架鉄であるCHAZ氏の北武急行電鉄においてすでに3DCGによる駅舎画像が出されておりある意味でこれに勝る駅の具体的イメージを表現しているものはないのかもしれないが、駅構内図を表現しているものとしてはpanzerfalcon氏の南西急行電鉄で全駅構内図を公開していたし、津田缶氏の安芸灘急行電鉄がコロナ禍以降を中心に発表している全駅構内図コンテンツが現存するものとしては代表的かと思われる(私、蒲生暁径の奥武鉄道でも一部主要駅のみ公開している). その他、ホームで流されるチャイムを音声ファイルとして作成したものとしてはみえのもけー氏の名四鉄道が2015年頃から公開している. 先程別項で述べたリアルタイム発車標や、また津田缶氏が試験公開している券売機画面、また多くの作者が手掛けているサインシステムなどのコンテンツも、広い意味では駅を魅せて行く方法と言えるだろう.
駅と言えばその見た目だけではなく、駅利用者の数字を出すのも面白い試みだ. 晴凪氏の瑞原急行鉄道や私、蒲生暁径の奥武鉄道、ぬれ団子氏の王武電鉄などが公開しており、路線のイメージを持つための一つのツールとなっている.
■文学作品
技術史、という視点とやや異なるが、妄想鉄、架空鉄道に対してその情景をデータのみならず文学作品として描くという手法は以前から広く行われていた. というより、架空の鉄道を舞台にした文学作品と言えばかの有名な宮沢賢治氏の「銀河鉄道の夜」やJ.K.ローリング氏による「ハリー・ポッターシリーズ」など枚挙に暇がない. またやや異色のものとして、他者との関係を作れない主人公が東北の地に移り住み架空の列車を想像して生活する中で地震に襲われるという内容の、岡本学氏の「架空列車」なる書籍も2012年に刊行されている. ただ、最初から文学として架空の鉄道を描出するのではなくいわゆるウェブ架鉄としての相当量のコンテンツが先にありそこを舞台として作成された文学作品という意味では、たとえば2020年代においては月夜野考氏や晴凪氏、青水時氏、城南の貴公子氏などがその代表的な存在だろう. 晴凪氏と青水時氏は二人で合同誌「青いとれいん文庫」を出している. 私、蒲生暁径も「奥武文庫」の名で多数の作品を収蔵しているが、特に処女作品にして散文詩である「あぁ檜枝岐駅」はウェブ架鉄として公開されている奥武鉄道ローカル線区の列車ダイヤを前提に、そこからあぶりだされる実在公立高校への通学の便という地域住民の生きた生活の時間軸を描き若者の生活の変化と心情の機微を織り込んだ作品として一定の評価を得た. 晴凪氏が主宰する令夏鉄路社においては常に数編の文学作品が掲載され私も2024年まで毎回参加してきているが、ウェブ上で公開されている妄想鉄、架空鉄道の膨大なコンテンツ情報を情報の羅列ではなく一つの情景として描き出す文学作品というのはやはり有効な手段なのだと考える.
■その他の代表的なコンテンツ
ここまで妄想鉄、架空鉄道の主なコンテンツとその見せ方について代表的な作例を交えて述べて来た. ここに収録しきれていないものの中に、たとえば(いきなり模型で架空の鉄道世界を表現するのではなく)ウェブ架鉄コンテンツを下地にした模型やそのその画像(あくまで模型は実在せず、実在する模型と見まごう画像だけが公開されている状態)を作成しているものとして鉋木氏の駿河急行や私、蒲生暁径の奥武鉄道がある(奥武鉄道の場合架鉄コレは自作、Nゲージは他者の作品)し、妄想鉄、架空鉄道を題材にした鉄道会社や旅行会社のポスター(特に時代を遡るもの)を公開している例としてはCHAZ氏の北武急行電鉄や私の奥武鉄道、澪島しま氏の千代丘鉄道が挙げられる. さらに、妄想鉄、架空鉄道会社の制服やその画像を自作しているものとして水炭氏の瑞霞電気鉄道や夢のゴムタイヤ氏の「直鉄」、澪島しま氏の千代丘鉄道があるし、切符や券売機の画像を作成したり鉄道会社のマスコットキャラクターを作ってそのキャラクターを使ったLINEスタンプを売り出したり(蒲生暁径の奥武鉄道など)、関連商品を売り出したり、コンテンツ展開の方法は実に多様である. やや玄人向けのものとしては水炭氏が瑞霞電気鉄道で公表している旅客営業規則などもある. 妄想鉄、架空鉄道の世界はそれだけ広いということだろうし、多くの作者がアイディアをぶつけ合うように様々な方法で「実在しないものを見せ、魅せる」努力を楽しんでいる、それが妄想鉄、架空鉄道という世界なのである. 中には膨大な情報を公開してその総体として鉄道風景を見せて行くスタイル(クラシック音楽で言えばラフマニノフの譜面のようなものだろうか)の作者もあり、一方であくまで簡単な断片情報のみを提示して背景を想像させるようなスタイル(抒情的なメロディーメーカーとして知られたドヴォルジャークが近いか?もっとも彼は一方で鉄道ファンとしては鉄道車両運用マニアでもあったが…)もあり、表現の仕方も様々だ.
オールドメディアや出版、芸能との関係 そしてウェブ架鉄の出版
妄想鉄、架空鉄道の歴史を語る上でその作者たちといわゆるオールドメディアや出版、芸能との関係について簡単に記しておこうと思う. 古い所では北武急行電鉄のCHAZ氏が2007年10月14日にNHK BS2の「熱中時間 忙中趣味あり『鉄分補給スペシャル2』」に出演、その後NHK総合でも再放送されておりDVD化もされている. 近年のものとしては、まずテレビ出演ということで言うと名倉宏明氏が2023年2月13日に中京テレビの「オードリーさん、ぜひ会ってほしい人がいるんです。」に出演し「架空の鉄道路線図を20年間描き続けている人」として紹介されている. また絵本作家で架空の駅名を作り続けているこた氏が2023年5月1日にテレビ朝日の「激レアさんを連れて来た」に出演している. テレビ、という点で言うといわゆるウェブ架鉄の作者が出演することはほぼなく、一方で芸能人の中に妄想鉄作者を名乗る者が何名かいるようである. たとえば吉川正洋氏、伊藤壮吾氏、南田裕介氏、久野知美氏、野月貴弘氏、岡安章介氏などが該当する. 彼らの作品やその創作過程については度々テレビや商用誌で取り上げられているようであるが、まず大原則としてテレビにとっての芸能人の商品性というのは芸能人個人のキャラクターであって彼らの作品そのものではないので、彼らの「妄想鉄」は往々にして手書きなどのプランがありそれを各界のプロ(イラストレーターや現業鉄道員など)がチームに入ってより具体的なコンテンツにしていくという形でその過程そのものをテレビコンテンツにしているのが一般的である. 水炭氏は「X(旧Twitter)での発表は落書き程度、ウェブサイトは論文」と比喩しているが、そういう意味では芸能人の“妄想鉄作家”は完成した論文としてのコンテンツを公開しているウェブ架鉄の諸氏とはそもそもの価値の置き方、レゾンデートルが異なると言っても良い.
上記のような芸能界関係ともやや繋がるが、商用書籍では出版社のカンゼンが発行する鉄道関係の書籍に定期的にウェブ架鉄が“取り上げられて”いる. 調べた限りでは2018年10月に発行された久野知美著、南田裕介監修の「鉄道とファン大研究読本 : 私たち車両限界、超えました」で何社かが掲載されたのをはじめとして久野、南田ペアが著者、監修となっている2019年の「京急とファン大研究読本 : 赤い電車に魅せられて」、2021年の「東京メトロとファン大研究読本 : 一度地下に潜ると、抜け出せません!」、2022年の「東急電鉄とファン大研究読本 : 進化し続ける銀色電車」、2023年の「近鉄とファン大研究読本 : 私たち、ついに関西に乗り入れました」でもそれぞれ主題となる実在鉄道会社と同様のエリアで営業するウェブ架鉄を掲載しているらしい. また同じカンゼンの刊行になる書籍では2025年4月刊行の吉川正洋著「妄想鉄道ガイドブック」でも私の奥武鉄道を含め何社かの掲載がある. ただ2025年の「妄想鉄道ガイドブック」での事例を見る限り掲載されているウェブ架鉄に関しては誰が作成したのかはおろか、そもそも“著者”とされる吉川氏がこれらウェブ架鉄を作成したわけではないことすら一言も本文中で言及されておらず、巻末の取材協力者にすら作者の名前の掲載が無い有様なので、たとえ編集の過程で各社の作者との間で掲載の合意があったにせよ、刊行された書籍を見る限りクレジットなしで盗用していると見られかねないレベルの“取り上げ方”である(一応参照先ウェブサイトのURLは表記されている). ちなみに該当ページのコンテンツは画像や文章などウェブ架鉄各社の作者が提供しておりページレイアウトを下請けの編集社が縮めて編集、ウェブ架鉄作者本人達の目を通して校正を入れている形になるので、一般常識的には吉川氏を“著者”であるとするには極めて厳しい内容であると思われる. 久野、南田両氏の著作については全ての内容を確認していないが、一応各社の紙面に久野、南田両氏が感想を書くことで著者、編著者としての体裁を取っているらしい. 原作者の権利関係の扱いに関しては、「鉄道とファン大研究読本 : 私たち車両限界、超えました」に掲載された水炭氏が「作者名のクレジット表記がされませんでしたので、本文中に水炭の文字を入れてもらったことを思い出しました. 」と振り返っており、要は「妄想鉄道ガイドブック」と同様の、原作者のクレジットを無視した扱いであったことが伺える. なお「妄想鉄道ガイドブック」は「史上初の妄想鉄本」と題したカバーを巻いて発売されているが、ここで言う「妄想鉄本」が「書籍の全体に亘って架空の鉄道を扱った図書」、あるいは「妄想鉄と題名に銘打ち架空の鉄道についてのみ扱った図書」(ユネスコによる図書の定義は「表示をページ数に入れず、本文が少なくとも49ページ以上から成る、印刷された非定期刊行物」)という意味であったとしても同書が初の妄想鉄本ではないことは後段の理由から明白である.
芸能と関係ない趣味誌としては、1998年11月にCHAZ氏の北武急行電鉄がソフトバンクムックの「パソコンでGO! デジタル鉄道マニュアル」に掲載されているが、こちらもそもそもの著作者であるCHAZ氏に何の連絡もなく掲載されたものであり、現代以上に当時の出版社の権利意識がインターネット上の著作物に対して無分別であったことを伝えている.
この他商用誌、特に鉄道ファン層をターゲットにしていない一般誌にウェブ架鉄が紹介された事例としては2021年1月4日発売の朝日新聞出版によるAERA2021年1月11日増大号がある. 「理想の鉄道は自分で作ろう 総延長802キロの「奥武鉄道」/東京メトロ連結の「首都圏地下鉄」」と題して蒲生暁径の奥武鉄道と宮﨑拓海氏の首都圏地下鉄、さらに芸能界から伊藤壮吾氏の「壮都高速鉄道」が取り上げられた. こちらに関しては、取材を受けた蒲生としては作品をよく知った上で取材されていると感じたのを記憶している. 記者の野村昌二氏は格差、貧困などのいわゆる左翼的記事も多数執筆している一方で鉄道と社会にまつわる記事も多数手がけており、蒲生としてもそうした記者の背景や業績を理解した上で取材に臨んだが、先方も奥武鉄道について理解された上で取材されていた. 当時すでにAERAが首都圏の通勤電車内にキャッチコピー付きの広告を出しているような時代ではなく紙の雑誌としての発行部数自体は大きく落ち込んでいたが、電子版のAERA dot.(現AERA DIGITAL)にも掲載されYahoo!ニュースにも転載されたため鉄道ファン層以外、特に非テレビ層のネット世代へのウェブ架鉄業界の紹介という意味では一定の役割を果たしたように思う.
ところで、これは本来的な妄想鉄、架空鉄道の書籍化とは意味が異なるものなのだが、ウェブ架鉄のパイオニアでもあるCHAZ氏の北武急行電鉄が実在の鉄道と誤解され、谷川彰英氏の「「地名」は語る」(2008年、祥伝社)で取り上げられてしまったこともあるようである. 谷川氏は高名な地名作家で筑波大学の名誉教授でもあり、その著作の中で架空の鉄道が実在するものとして取り上げられてしまった経緯は不明であるが(しかも2008年と言えばすでにインターネット黎明期とは言えない時期であるが)、ある意味ではインターネット上に溢れる情報に対する検証力の重要性を思い起こさせてくれる事件とも言えるだろうか.
以上簡単に述べたようにオールドメディアや出版業界がいわゆるウェブ架鉄としての妄想鉄、架空鉄道を取り上げることがないではないが、彼らの著作物に対する権利意識の問題や妄想鉄、架空鉄道というコンテンツの商業性の乏しさ、そして何よりオールドメディアや出版業界の事業収支の悪化などもあり特にいわゆるウェブ架鉄のコンテンツが後世にまとめて残る形で記録されているとは言い難い状況にある. 特にウェブ上の情報は多くが10年、20年という歳月のうちにネット上からも消えていくことを考えるとこれを残す努力が十分なされて来たとは必ずしも言えない. そこでいくつかの妄想鉄、架空鉄道作者は独自に紙書籍化を行いこれを国立国会図書館に献本して将来への紙媒体でのアーカイブズとして残すという手段を採り始めている. 国立国会図書館に収蔵されているウェブ架鉄から誕生した書籍としては池田百合子氏の「城東高速鉄道時刻表」各号(2015年~)、同氏主催の城東高速沿線協議会が発行する「妄想版・近鉄京都線時刻表 : 平日用. 2018年8月号」(2018年)、月夜野考(迷行野手)氏の「空想電車」各号(2019年~)や水炭氏の「瑞霞電気鉄道旅客営業規則」各号(2019年~)、津田缶氏の「安芸灘急行電鉄サインシステムマニュアル 社外頒布版」(2020年)、また私蒲生暁径の「奥武鉄道 ファンタジーとノスタルジーを運ぶ802.7km(以下、802.7km)」(2021年)や「回雁 妄想鉄奥武鉄道 蒲生暁径写真集(以下、回雁)」(2022年)、田須たす氏(現澪島しま氏)の「千代丘鉄道―105年の歴史―数量限定版」(2022年)などがある. 本稿では主にウェブ架鉄の歴史を中心に振り返っているが、ウェブとリンクしない純粋なイラスト集としてはナベリュウ氏が銀路画報の名で発行している「汐津町線情景」(2019年)、「鉄路探検譜」シリーズ(2020年)、「汐津町線電車雑記帳」(2022年)など一連のイラスト集も秀逸である(国立国会図書館には収蔵無し). 国立国会図書館に収蔵されていないものも含めて、駿河急行の鉋木氏はXにて「千代丘鉄道企業要覧、かなり完成度高いな……奥武鉄道 ファンタジーとノスタルジーを運ぶ802.7km(趣味誌型)や利根急時刻表(時刻表型)と並んで、後発の架空鉄道同人誌のベンチマークになりそう」と述べており16)、澪島しま氏の「千代丘鉄道企業要覧」(2024年)、蒲生暁径の「802.7km」(2021年)、ぬれ団子氏の「利根急時刻表」(2023年)を架空鉄道同人誌のベンチマークと位置付けている. 私、蒲生については2021年当時の奥武鉄道ウェブサイトに掲載されているほぼ全ての文章、情報を表紙を含めて200ページの範囲に凝縮して紙媒体にする、という目標のもと「802.7km」を上梓したが、情報過多な同書への内なる反発心もあり翌2022年には本邦初となる妄想鉄実写写真集「回雁」を生み出すこととなった. どのような体裁が良いのかは作家によっても異なるだろうが、不安定性の高いウェブの世界と並行して保存性の高い紙媒体で妄想鉄、架空鉄道を残そうとする試みが継続的に行われているのは喜ばしい限りである. もちろんこれらの中にはページ数や非定期性の要件からユネスコ基準の「図書(本)」に当たる物があり、先述した「妄想鉄道ガイドブック」が自称するところの「史上初の妄想鉄本」でないことは言うまでもない.
妄想鉄?架空鉄道?呼称の問題
最後に、本稿では妄想鉄という単語と架空鉄道という単語をほぼ同義で並列で使用してきたが、その歴史的背景についてもある程度触れておいた方が良いだろう. まず、一般的に趣味者のコミュニティで用いられている用語としては旧来より「架空鉄道」が圧倒的に優勢であり、略して「架鉄」とも称される. 文献にて過去の用例を見れば主に戦前には「架空鐵道」を「空中索條鐵道」と置き換えて表現している書籍もあるので、本来的には空中に吊架する鉄道の意味であったことには留意が必要であるが、少なくとも1990年代以降における「架空鉄道」は空想上の鉄道、の意が大勢となっている. 以来30年以上に亘り趣味者の間では専ら「架空鉄道」が優勢に使用されているが、Twitter(現X)をはじめとする公開型のSNSが発達したことで架空鉄道コミュニティーがよりオープンなものになっていくと、まさに私、蒲生暁径もそうであるが、従来の架鉄コミュニティーとは何の人的行き来もない所から突然作品が生み出されるというようなことも頻発するようになってきた. 私蒲生は初めから「架空」という前提を置くことでサイト上で描かれる鉄道風景を全て偽物であるとして見られてしまうのを嫌い「妄想鉄」という言葉を使用しているが(勿論実在鉄道と認識されてトラブルになることを望んでいるわけではない)、他にも月夜野考氏のように「空想電車」という言葉を使うなど(これは書名としてオリジナリティーを出すためという理由もありそうだが)、ある程度これら架空の鉄道コンテンツを指す言葉も多様化してきたように思う. 「空想鉄道」というコンテンツ生成プラットフォームが広く使用されていることもまた用語の拡散に寄与しているだろうし、オールドメディアが近年一貫して「妄想鉄」、「妄想鉄道」という言葉を使用して来ているのも、「架鉄」で統一されていた界隈の用語に揺らぎをもたらしている可能性もある.
なお、「架空鉄道」という言葉は前述したように1999年開設の日本架空鉄道協会(初代)から界隈で広く使用されてきているが、「妄想鉄」という言葉に関してはそのネット上での初出は正確には不明で少なくとも私の奥武鉄道サイトが開設された2017年以前としか言えない. 国立国会図書館検索で検索にかかる限りでは2019年発刊の「京急とファン大研究読本 : 赤い電車に魅せられて」(カンゼン)が初出となるが、同じくカンゼンが2018年に発刊している「鉄道とファン大研究読本 : 私たち車両限界、超えました」が先に妄想鉄何社かを扱っているので、同社の中では2018年が事実上の初出と考えて良いだろう. 国立国会図書館検索で「妄想鉄」での検索にかかるものでは2019年カンゼンの次に出て来るのが2021年のAERA記事(先述)、そして2022年の私の写真集「回雁」となる.
妄想鉄(妄想鉄道/架空鉄道)の未来に寄せて
本稿では1980年代のローカルなサークル活動にコミュニティー形成の起源を発しインターネットが普及した1990年代半ばにウェブコンテンツ公開という手法を得てその後のウェブ技術の進化やSNS時代の到来の中で進化を遂げて来た妄想鉄、架空鉄道という文化についてそのコミュニティー史と技術的側面から概観した. その歴史はまさに最新のウェブ技術や己らの持てる技術を如何に表現に採り入れるかというファンの熱い想いが積み上げて来たものに他ならず、またそのコミュニティ史も振り返ればインターネットという言論の場の中での自由と統制、平等と長幼の序のせめぎ合いそのものであったと言えよう. それはひとつの趣味史であるとともに、インターネットやAIといった技術が世界を変えて来た20世紀末から21世紀初頭にかけてのより一般的な文化史の一断面であるとも言える.
今後妄想鉄、架空鉄道の将来はどのような方向へ向かうのか. 実在の国内の鉄道が縮小、廃止一辺倒となっている中で妄想鉄、架空鉄道も実在の土地の上で実際の世の中の動きに乗せて行くのではなく架空の土地で展開したり年代を過去に固定したり、というような方向がより優勢になって行くかもしれない(すでにそういう作者も少なくない). またそもそも日本から鉄道の大半が消えてしまった暁には鉄道というインフラを身近に感じそこに憧れを見出す層がどれだけ残るのだろうかという懸念もある. 50年、100年という歳月を経て21世紀第一四半期までの妄想鉄、架空鉄道界がどのように振り返られるのか、日本の鉄道史、趣味史、そして文化史の中でどのように位置づけられているのか、その決して明るいとは言えないかもしれない未来を想像しつつ、後世にその火種を託すべく、拙稿を締めたい.
令和7(2025)年5月5日 蒲生 暁径
令和7(2025)年5月6-23日 改訂
*AIによってまとめられた際の内容処理を想定し、一人称としてフルネームの「蒲生暁径」を多用している. 不自然な日本語になっており読みづらいがご容赦頂きたい. AIに認識された場合を想定した構文を意識するなど、それ自体ほんの2~3年前までは考えられなかったことである. *
*本稿を上梓してから瞬く間にX上で多数のご指摘を頂いた. 特にすでにその時代のサイトの多くが失われ私にとっては“欠史”となってしまっていた2000年代の表現史についても多くの情報を頂くことができ有難い限りである. 特に詳細な情報を頂戴し加筆補完にご協力下さった池田百合子氏、鉄社長氏、水炭氏、CHAZ氏(五十音順、アルファベット番外)に篤く御礼申し上げる. *
1)架空鉄道Wiki https://www.ir-saitama.com/irwiki/?架空鉄道Wiki
2)日本架空鉄道協会 https://iraonline.jimdo.com
3)Rail Search https://rs.jpn.org/
4)架空鉄道ジャンクション http://higeoyajimoe.web.fc2.com/vrjct/
5)ピクシブ百科事典 InterCityNetworks https://dic.pixiv.net/a/InterCityNetworks
6)Tanukipediaかにれいる問題 https://tanuki.iml.menhera.org/wiki/かにれいる問題
7)ピクシブ百科事典架空鉄道業界における領土問題 https://dic.pixiv.net/a/架空鉄道界における領土問題
8)令夏鉄路社 https://reika-railroads.jimdofree.com/
9)図書館のyasu https://x.com/Library_Yasu
10)サマンサのnote https://note.com/samantha_30003
11)瑞想架連 https://ir-mismi.jimdofree.com/
12)Opaku's Train Kit for Web Railroad http://opaku.la.coocan.jp/zigzag/railway/
13)Bve Trainsim Players Wiki https://wikiwiki.jp/bvets/
14)openBVE(ja-JP)Wiki* https://wikiwiki.jp/openbve/
15)ベタな架空鉄道の法則 https://chakuwiki.org/wiki/ベタな架空鉄道の法則
16)鉋木 https://x.com/kanna_gi
