1960~1970年代奥武本線の主力!キハ200系の華やかなる時代

当社の車両の中でも一見地味なようでバリエーションが多いのがキハ200系. 上のイラストの上から


①キハ250試作車(1965-,片運転台トイレ有)
②キハ250量産車(1966-)
③キハ270(1965-,片運転台トイレ無)
④キハ200(1975-,両運転台トイレ有)~1990,2015~の塗色
⑤キハ200 1990~2015の塗色

昭和32(1957)年から製造されていた国鉄の大型ディーゼルカーキハ20系やそれを範として機関出力を増強した奥武鉄道初の大型ディーゼルカーキハ100形の成功を受け、蒸機牽引の客車列車でダイヤのスジも大きく寝ていた奥武本線の普通列車を近代化すべく、昭和40(1965)年に20mロングシート車として片運転台トイレ付きのキハ250試作車がデビューしました. 勾配線区用のキハ100とは異なり1エンジンの経済車として20m級で設計され、量産時のコストや連結時の美観を考慮して運転台周りは通勤電車のような切妻スタイルを採用しております. カラーリングは奥武鉄道中長距離列車の標準色である草色とアイボリーのツートンですが、旧態依然とした客車列車から決別し新時代を象徴するディーゼルカーであることをアピールすべく、正面のほか側面にもディーゼルカーの印である斜め銅色帯を導入、同年中にトイレなしのキハ270も登場して昭和(1965)年から1980年代半ばまで奥武本線中距離列車の主役として活躍しました. 

キハ250、270が登場した1960年代後半、支線の大田原線では旧東野鉄道時代の車両がそのまま使用されており、また大子線では宇都宮日光線の下総境~奥武日光間交流電化(当時)で捻出されたキハ、50、60、70、80といった戦前世代の雑多な小型機械式ディーゼルカーが寄せ集められて走っていました. 昭和50(1975)年にはこれらを一掃すべく両運転台のキハ200が導入され、一部は奥武本線の朝夕の増結用にも使用されます. この頃非電化幹線である奥武本線は「非電化私鉄路線の雄」と称され、キハ1000系特急形気動車や500系客車を用いた客車列車とともに、キハ200系普通列車が主力として闊歩し、北関東の山中にその渋い車体を輝かせていました. 中でも朝の通学時間帯に運転される笠間発野田市行き普通列車は最大7両編成(キハ250-270-250-270-250-270-200)まで増結しており話題となりました. 

しかしそんな黄金時代も短く昭和52(1977)年には奥武本線の下総境~白河間が交流電化、その後もキハ200系は架線下のディーゼルカーとして活躍を続けますが、ついに昭和60(1985)年、奥武本線に新700系が導入されると急速に数を減らし、平成7(1995)年までにキハ250、270形は姿を消します. 残った両運転台のキハ200も今度は"最新型"の新700系電車とイメージを統一すべく車体色を変更、アイボリー部分を広く採り、かつて気動車の誇りであった銅色側面斜め帯を廃した簡素な塗色になって大子線と大田原線、大田原線から直通する奥武本線内普通列車で何とか命脈を保ちます. この時期一部の車両はセミクロスシートに改められ、主に大子線の運用に就きました. 

平成30(2018)年からは大子線において後継車となるキハ300、350形の導入が始まり、いよいよ大田原線関連運用と大子線にわずかに残ったキハ200の活躍も最終章. 2015年からは迫り来る引退を前に昭和期のストライプ塗装に戻されており、気動車華やかなりし頃の奥武本線の景色を少しだけ思い出させてくれるでしょうか. 

キハ200系物語