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奥武鉄道は東京の副都心新宿を起点に埼玉県、茨城県、栃木県、福島県会津地方に路線を伸ばし一部は千葉県や群馬県、山形県にも跨る長大な路線網を抱える大手私鉄だ。路線総延長も794.1kmと私鉄他社を圧倒する、全国屈指の鉄道会社である。

現在の本社は埼玉県さいたま市の浦和駅近くに置かれているが、元々は会津地方の有志が会津地方を中心として東北・越後地方各地と東京の直結を目指して設立した会社、奥羽越鉄道が起こりとなっている。戊辰戦争の経緯から明治新政府との間にしこりの残っていた会津地方としては、福島に県庁が置かれ福島県が設立されると会津の地盤沈下を憂う声が強くなった。そこで会津地方を中心として山形県、新潟県、郡山と鉄道で結びそこから白河街道を南下して白河を経由して東京を目指す鉄道構想が持ち上がった。実際には会津若松と郡山とを連絡する予定で建設が始まった郡若線の一部区間や会津坂下より西の新潟を目指す区間が岩越線(現在の磐越西線)開通が先行したことで未成線に終わったり、会津若松と米沢を結ぶ路線が国の構想(日中線)と重なって長期にわたって塩漬けにされ、永らく米沢側のみの飛び地路線となっていたのが戦後になりようやく喜多方から大峠を越える区間の建設が始まるなど、多くの紆余曲折があった。さらに南進に際して白河から先鉄道省の東北本線と重複を避けるために敢えて人口の少ない栃木県東部を南下したり、浦和から先はすでに軌道特許で開業していた中山道電気鉄道(現在の中山道線)と合併してこれを改軌、さらに経営難から併合を申し出てきた日光東街道鉄道(現在の宇都宮日光線)を吸収合併するなど、当初の奥羽越鉄道の構想からは大きく離れた路線網になっているのも事実である。

現在では関東大手私鉄に列する奥武鉄道であるが、その長大な路線網、中でも路線長の大半を占めるローカル線の数々を見るとさながら巨大なローカル私鉄といった様相も呈している。本稿ではそんな奥武鉄道各線の魅力を探って行く。

 

■大半の列車が起点から一駅で止まってしまう大子線

 

大子線は奥武本線の七合から分岐して盛谷川に沿って東進、JR水郡線の常陸大子に接続してそこからさらに観光地である袋田の滝近くまで伸びる非電化単線路線である。元々国鉄真岡線の延伸部分として計画された「栃木縣茂木ヨリ烏山を經テ茨城縣大子ニ至ル鐵道」を奥羽越鉄道が免許取得して「奥鉄関東線」として開通させた、その一部区間である。

時刻表を見るとまず気になるのが、この手のローカル線としては本数が多い割に大半の列車が起点から一駅先の馬頭で止まってしまうことである。七合~馬頭間に限れば1日の列車本数は41往復も走っており、日中も含めコンスタントに1時間2~3本が設定されているので北関東のローカル線にしてはかなり本数が多いという印象を受けるが、これは那珂川町の中心部の一つである馬頭地域から同町のもう一つの中心地域である小川地域へ、そして烏山や黒羽、大田原方面への移動の便宜を図るために奥武本線の列車に接続する形で七合~馬頭間の区間列車を多く設定していることによるものである。馬頭を東に過ぎると路線は一気にローカル線の趣が強くなる。馬頭以東に運転されているのは七合~奥袋田間全線を走破する列車が9往復と七合~常陸大子間の列車が7往復、合計16往復である。この16往復という数字は2017年4月ダイヤ改定後の奥武本線における笠間~七合間を通し運転する普通列車の17往復という数字とも近いが、少なくとも奥武本線の茂木~烏山間よりは大子線沿線の方がまだ平地が開けており、人口も多いので、むしろ2017年改定で減便される前の奥武本線笠間~七合間の方が過剰輸送であったと言えるかもしれない。ちなみに、JR水郡線は常陸大子から郡山行きが1日9~10本、水戸行きが1日15本運転されているので、七合~常陸大子間の16往復という本数は水戸~常陸大子間の水郡線と概ね同じ本数ということになる。先述した通り16往復中全線を走破する列車は9往復に限られ、残る普通列車7往復は終点の奥袋田に入らずに常陸大子で折り返してしまう。その理由としては、奥袋田駅発の上り終列車が18時25分発と非常に早いことから分かるようにまず終点の奥袋田が観光需要の見込める日中時間帯以外の利用が極端に少ないことが挙げられるが、その他にも奥袋田駅に留置線がなく原則1編成しか入線できないために車両運用上一部列車を手前の常陸大子で止めて折り返していたり、あるいはそもそも奥武本線の接続列車時刻の関係で奥袋田まで来て折り返すだけの時間的余裕がなく常陸大子で折り返している列車もあったりと、ダイヤ作成上の苦労が偲ばれる。奥袋田までやってくる9往復の列車の内下り5本上り4本が快速列車(大子線内は各駅に停車)で、日中観光需要の見込める時間帯を中心に運転され新宿~白河/会津田島/只見間の快速列車と併結して新宿から直接乗り入れる。また夕方に上り1本のみ、線内のみを走る「ふくろだ快速」554D列車が設定されており、奥袋田、常陸大子、馬頭、七合のみに停車して線内を普通列車より4~5分程度速い所要29分で連絡する。袋田の滝から帰る客を見込める夕方の時間帯に、新宿まで直通する上り快速列車がないためこれを補って七合で上り特急に接続するのが目的であるが、線内を快速運転するのも実は送り込み普通545D列車が奥袋田に到着する時間から計算して途中駅を通過しないと上り特急に接続できないという判断によるものだ。

大子線の列車に使われる車両だが、線内完結列車は基本的に(ふくろだ快速を含めて)後述する大田原線と共用の2扉ロングシート通勤型気動車2両編成で運転される。全体的にはローカル色の強い大子線だが朝夕の七合~馬頭間には通学需要がそれなりにあるためと、検査時の車両運用の効率の問題から、大田原線と同一の車両を使用している。奥武本線から直通してくる快速列車は快速用気動車キハ4000系の3連で運転され、この他快速の間合い運用となる下り549D普通列車と上り552D普通列車、558D普通列車の3本が快速用3連で運転される。中でも552Dと558Dは袋田の滝からの帰りの観光客を輸送する役目を担っており、552Dは七合で奥武本線上り普通列車に接続して笠間で上り特急白虎に連絡し、558Dは七合で上り特急あかべこに接続する。本来ならその間を埋めて七合で上り快速に接続する554Dふくろだ快速もロングシートの通勤型DCではなく簡易リクライニングシートを備えた快速用DC3連で運転されれば良いのにと思うところだが、そこは車両運用上致し方なし、ということらしい。

なお、全線を通して単線の大子線だが、かつて貨物輸送を行っていた名残で七合から上岡までの各駅が交換施設を有しており、旅客列車のみとなった現在でも一日を通してこれらすべての駅の交換施設を使用している。常陸大子駅は1面2線の旅客ホームを持つがその内1線のみが奥袋田方面に通じているため、常陸大子駅で折り返し待ちをしている間に奥袋田発の14D快速列車を待避する521D→530D列車は草生した行き止まりの2番線で折り返し待ちを行う(紅葉の時期に下り浦和発臨時快速袋田の滝紅葉号が運転される時には、これを待避するために531D→536D列車の折り返しも2番線で行われるほか、旅客運転の後で奥袋田から上って来る臨時快速列車の回送が常陸大子で一旦2番線に引き上げて11D快速列車を待避するシーンも見られる)。また線内列車用のキハ200形気動車は夜間原則的に馬頭駅の留置線に留め置かれており、検査入場時を除いて線内から出ることはない。

 

■奥武本線の一部と一体化した地域輸送を担う大田原線

 

大田原線は奥武本線の黒羽から分岐して大田原に至るたった3駅間のミニ路線である。大田原線について語るにはまず廃止された東野鉄道について語らねばならない。東野鉄道は西那須野から大田原、黒羽を経て那須小川までを結んだ地方私鉄であるが、元々は常陸大子までの延伸も視野に入れていた。1918年に西那須野~黒羽間を開業し、1924年には那須小川(現、下野小川)まで延伸されたが、昭和恐慌のあおりを受けて常陸大子までの延伸を断念している。その後1938年の台風で箒川鉄橋が落橋するとその復旧費用を捻出できなくなった。この頃北から南進し黒羽に到達していた奥羽越鉄道は東野鉄道の線路を借り受ける形で黒羽~那須小川間に乗り入れ、その先那須小川~笠間~浦和間の自社路線と直通運転を行うばかりでなく当初東野鉄道が構想していた那須小川から先常陸大子までの路線開通を実現させていたが、箒川鉄橋の落橋を受けて東野鉄道の黒羽~那須小川間を買い入れることを決定、同年中に黒羽~那須小川間を編入し那須小川駅を下野小川駅に改称する。その後も西那須野~黒羽間は東野鉄道の路線として存続したが、1968年の同区間廃止を受け、今度は奥武鉄道が西那須野~黒羽間のうち大田原~黒羽間を購入し、奥武本線の「大田原支線」を称した(一般旅客向け駅名票には「奥武線大田原駅」などのように表記されていた)。当時はまだ奥武本線が非電化であり、特急列車もディーゼルカーによって運転されていたこともあり、新宿から大田原に乗り入れる特急列車も1日3往復設定されてむしろ大田原住民には歓迎されたという。しかしこの時すでに1967年の国鉄磐越西線郡山~喜多方間電化を受けて奥武鉄道内では奥武本線笠間~白河間および磐岩線白河~会津若松間の電化が決定されており、1977年に奥武本線の、そして1980年に磐岩線の電化が完成すると特急列車も時速120km/h運転可能な新型電車(現在は140km/h)に置き換えられ、新宿~大田原間を直通するディーゼル特急列車は1980年磐岩線電化完成時ダイヤ改定で上り1本、下り1本に減便された。さらに特急形ディーゼルカーキハ1000系の老朽化による廃車と快速用ディーゼルカーの改造によるスピードアップ(最高時速100km/h→140km/h)を経て、1990年のダイヤ改定以降大田原線には朝の上り1本と夜の下り1本、新宿から直通する快速列車が新宿~白河間の快速と併結されて運転されるのみとなり特急の運用はなくなった。なおこの1990年ダイヤ改定と同時に路線名称も「奥武本線大田原支線」から「大田原線」に変更されている。

 2018年現在の時刻表では1日1往復の快速を含めて23往復が設定され、快速を含む全列車が線内各駅に停車する。2017年4月のダイヤ改定で宇都宮日光線支線の鉱山輸送に使われていた旧型客車を導入し朝に大田原~黒羽間の列車を2往復増発し、日中~夕方にも大田原~奥武本線茂木間の列車を1往復増発、合計で3往復が増発されている。また従前から日中の多くの列車が黒羽から奥武本線に乗り入れ七合まで直通し、七合で七合~馬頭間の大子線列車に接続していたが、2017年改定ではこれらの内1往復を除く列車の直通運転区間を烏山までに延長し、日中は奥武本線の野田市~白河間を結ぶ普通列車を超える本数が大田原~黒羽~烏山間で運転されるようになっている。実質的に日中時間帯に限っては烏山~黒羽~大田原間がこの辺りの地域輸送の基本的な動線となっており、むしろ本線である黒羽~白河間や笠間~烏山間の方が地域輸送列車の少ないローカル区間になってしまった。大田原線の23往復のうち1往復が新宿~大田原間を結ぶ快速(快速用DC3連を用いて、新宿~白河間快速の3連と新宿~黒羽間で併結運転される)、12往復が烏山~大田原間を結ぶ普通列車(通勤型DC2連)、1往復が茂木~大田原間を結ぶ客車列車(DL+客車4連)、1往復が七合~大田原間を結ぶ普通列車(通勤型DC2連)、残る8往復が通勤型DC2連またはDL+客車4連による線内往復列車である。朝と夜は線内往復列車の設定が多いが、この時間帯の大田原線内往復列車は奥武本線の列車に接続して運転され利用者の便宜を図っている。

 また大田原線の列車と奥武本線特急電車の接続であるが、下り列車に関しては多くの列車において黒羽での接続がとられているものの上り列車は大田原線から奥武本線七合まで先行し七合で特急に接続するものが大半を占める。下り列車においても、奥武本線内普通列車が七合で特急からの接続を受ける時間帯には烏山~大田原間普通列車が先行して黒羽で特急から接続を受けるが、奥武本線内普通列車のない時間帯にはこれを補う形で烏山~大田原間普通列車が黒羽ではなく七合で特急列車を待ち合わせており、かわりに黒羽での特急から普通列車への接続はなくなる。2017年ダイヤ改定で奥武本線内のL編成による日中の普通列車が削減されたため、黒羽ではなく七合で特急から接続を受けるディーゼルカー2両編成の烏山発大田原行き普通列車が増えており、折角大田原線の分岐点である黒羽にも特急列車は停車するものの、大田原と浦和、新宿方面を結ぶ利便性はやや悪化している。

 大田原線のハード面の特徴の一つが、栃木県北部の主要都市の一つ、大田原に向かう路線でありながら途中駅の金丸原、中田原に交換施設を有していないことである。同じローカル線である大子線がかつての貨物輸送の名残から奥袋田(1面1線)と常陸大子(1面2線だが1線のみが奥袋田方面に通じる)を除く全駅に交換施設を有している一方で大田原線は線内途中駅での列車交換ができないため、県北部の主要都市である大田原中心部と奥武本線を連絡する路線であるにもかかわらずダイヤ作成上のネックになっている。

2017年春のダイヤ改定では、普通列車がそれまでの奥武本線の縦断を中心としたダイヤから烏山から大田原までを一体として運転する体系に改められた. なお茶色の線と大田原線内の赤茶色の線は旧型客車による運用である. 

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奥武線 鉄道小噺 第10回   全国屈指の大手私鉄か?最大の地方私鉄か?
奥武鉄道各線の魅力を探る 其之四 大子線・大田原線   

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