​妄想鉄 奥武鉄道が生まれるまで

奥武鉄道の公式ウェブサイトを立ち上げたのは平成29年11月3日であるが、いかにして妄想鉄「奥武鉄道」が生まれたのか、その道のりを簡単にたどる”旅”に出てみたい.

 

前史

 

妄想鉄、架空鉄道、空想鉄道といった類のウェブサイトが乱立している昨今であるが、実は私はこれまで自身の妄想鉄をウェブ上で公開しようと思ったことはなかった. 自分の最初の妄想鉄はおそらく中学校に上がった時分に遡るのではないかと思うが、首都圏西郊の広域多摩地域内で幼少期から少年期を過ごし私鉄といえば京王や小田急、東急ばかりに慣れ親しんでいた当時、出先の関越自動車道からたまたま見下ろした田圃の中を単線で走る東武東上線(当時はまだなかった「つきのわ駅」付近、現在は複線化されて周囲も宅地に化けてしまった)に衝撃を受けた. 京王や小田急、東急ばかり見ていた当時の自分は関東の大手私鉄の基幹路線が単線というのに衝撃を受けたのである. またこの頃は八高線がぎりぎり非電化で残っていた時代でもあり、朱色5号の気動車が熱気を帯びて走る関東山地に接した非電化単線も私の憧れの的となった. 以来埼玉県西部の田舎びた田園風景に憧れを持つようになり、多摩地区から調布市深大寺、三鷹などを通って北上し埼玉県西部に向かう鉄道路線を妄想し始めたのが始まりではなかったかと思う.

 

本格的に路線、列車ダイヤなどを組み始めたのはしばらく経ってから. いくつかプランは出ては消えたが、かなりまとまっていたものに「北武鉄道」があった. 同名の歴史上の実在私鉄や同名、類似名の公開されている妄想鉄とは一切関係ないもので、路線図は大体以下のようなものであった(残念ながら詳細なデータは現在手元にないため記憶に頼っている).

北武鉄道の路線概要 複数の基幹路線を軸にした複雑な構成だったが、時刻表は日中パターンを作成しただけで終わった. 

やはり馴染みのあった山手線西側ターミナルである新宿、渋谷を起点に路線を引き始め、大枠としては

①    新宿から北武川越に抜けてその先高崎線に絡むように走って高崎から倉渕まで抜ける東高線(青)とその支線として優等列車用短絡線である北入間線(水色)

②    渋谷から新座を通ってまっすぐ浦和へ抜ける浦和線(黄)とその支線として大宮、北大宮までの新座大宮線(オレンジ)

③    池袋から東武東上線の北側に並行して川越、川島と結びそこから東上線と絡むように嵐山、滑河、熊谷を経て妻沼、伊勢崎、前橋、赤城山方面へと抜ける京城線(赤)とその支線としての所沢遊園線(ピンク)

の3系統を基幹路線として、

④    北武川越から分岐して高麗から名栗渓谷を遡上した上で秩父山地の中を東秩父村を経由して縦断し軽井沢に抜ける川軽線(緑色)

が加わり、さらに非電化ローカル線である滑川~東秩父間の路線や神流~海瀬(小海線に接続)間の路線、さらには前橋から北上して沼田に抜ける路線、また高崎から三国街道沿いに渋川まで結ぶ軌道線など枝線を構想していた. このネットワークを用いて東高線からターンして所沢遊園線に入り新宿~池袋間を連絡する半循環列車や、新宿から軽井沢に向かう特急列車での長野新幹線とのバトルなどを考えていたものである.

 

妄想鉄のエッセンスとしては

①    複数の本線からなるネットワーク構成

②    多種多彩な種別と直通形式

③    舞台は多摩地区をかすめながらも(かつて東上線に触発された)埼玉県中西部入間・比企地域から北関東にかけて

④    都市部の工場路線が欲しかったため東芝府中への支線を設定

⑤    非電化路線が欲しかったため滑川~東秩父間と神流~海瀬間を非電化にして滑川発海瀬行きなんていう直通DC列車を設定

 

というようなことを盛り込んでいたが、当時にしても東高線がわざわざ東小金井まで西進してから川越に向かって北上していたり、京城線がわざわざ一回比企郡を廻ってから赤城山方面に向かうなどルート選定に相当な無理があると感じていたし、他の私鉄との競合もあまりにも多く、架空の鉄道としてもあまりに現実感が希薄だったように思う.

 

 

奥武鉄道構想、はじまる

 

さて、それから何年経ったものか、他にもいくつか主に関東地方を舞台としたいくつかの妄想鉄構想を経て、2010年代前半より具体化したのがこちら「奥武鉄道」である. 必要なエッセンスとしては

①    軌道線由来の電鉄と蒸機牽引鉄道由来の地方鉄道会社が合併してできたという設定

②    在来線列車としてぎりぎり現実的な設定速度でJR新幹線と競合できる区間の設定

③    歴史的な街道筋や鉄道の構想があったルートなど、鉄道が通っていたかもしれないルートの発掘

④    他の私鉄とのあからさまな並走を避け、現在鉄道が敷かれていないルートを発掘

⑤    都市部の高密度通勤路線と山間部の非電化ローカル線が同一会社内に共存

⑥    都市部の高密度通勤路線は軌道線由来の電鉄としてJRと完全に競合させた上で小さな駅を約1km間隔で配置し、ダイヤ構成の妙を楽しむ.

というような骨子で路線を敷いていった.

 

特に③はこだわったところで、具体的には

■白河街道に沿った白河~会津若松間を連絡する鉄道

■野岩羽線構想の一翼を担っていたにもかかわらず日中線が開通したのみで全通しなかった喜多方~米沢間の鉄道

■現在の東北本線は栃木県北部で旧奥州街道と離れているが、奥州街道に忠実な黒羽~芦野~白河のルートを通る鉄道

■やはり構想されつつ実現しなかった茂木~烏山~常陸大子間の鉄道

■旧街道筋ながら鉄道が敷設されていない旧日光東往還に沿った鉄道

■旧日光街道の内鉄道が通っていない宇都宮~徳次郎宿~大沢宿をなぞる鉄道

■東北本線の建設時に候補ルートに挙がりながら建設されなかった浦和から城下町岩槻を通り日光街道方面に北上する鉄道

■上野発ではなく旧中山道に忠実に沿って都内から埼玉県に入る鉄道

を盛り込むことにした.

そしてこれらをたたき台に、さらに④の観点から

◆栃木県東部の中小都市を那珂川沿いの平地に沿って南北に縦貫する鉄道

◆鉄道空白地帯である関宿~境~結城を結ぶ鉄道

といった要素も織り込みつつ互いをつなぎ合わせる形で線路を引いていったのである.

 

目的地に会津を選んだ理由

 

私自身に会津地方との個人的縁はないが、目的地を会津に定めた理由は

□JR新幹線が通っておらず東京から実在の鉄道で行くには必ず乗り継ぎを要するため、 計算してみると最高時速140km/h程度でも新幹線に対して歯が立つこと

□現在の人口は同じ福島県の中通りに比して少ないが豊富な観光資源を有している地域であり鉄道会社としてのブランド化が容易であること

が挙げられる. 近代、現代史の中で中心的な交通路や行政の中枢から外されたことで最盛期の文化的遺産が開発で損なわれずに残り観光地として発達している例としてはほかにも青森県の弘前や埼玉県の川越などがあるが、会津地方もやはりそうした時代のタイムカプセル的な観光名所と言える. 特急列車の名称も真っ先に「あかべこ」と「白虎」に決定したが、知人からは「特急あかべこって古くなるときっと鉄道ファンに”べこべこ”なんて呼ばれるんでしょ?」などという楽しいご指摘も頂いており、なかなか拡張性のある(?)設定ではないかと思っている.

 

多彩な路線の多彩な素顔

 

北武鉄道自体に考えていた工場路線こそ盛り込んでいないが、奥武鉄道には様々な顔を持つ路線を盛り込んだ. まず典型的なベッドタウンから東京への通勤路線である中山道線. ダイヤ構成や所要時間の設定はもちろんJR京浜東北線、高崎線や湘南新宿ラインを強烈に意識したものになっており、一部複々線区間も導入して大都市圏ならではの複雑な列車ダイヤを実現している. 次に一見通勤路線のようでいて明らかに中山道線より列車本数が少なく、また1時間に3~4往復特急や快速といった長距離列車が駆け抜ける優等列車街道でもある奥武本線の浦和~関宿間. 浦和を出る時点ではまだまだいっぱしの通勤路線然としているが、末端の宮代杉戸~関宿間では各駅に停車する準急も日中1時間3往復と、首都圏の路線としてはちょっとしたローカル線並みだ. そしてその浦和~関宿間で速達通勤輸送を担う直流電車の急行や区間急行は実は全列車が奥武本線ではなく宇都宮日光線系統の列車であり、その宇都宮日光線には新宿からの急行・区間急行列車が日中でも1時間3往復そのまま直通する一方で2扉車両で運転される”普通”列車は宇都宮以南でも日中1時間2往復と少なく、首都圏放射状通勤路線と地方ローカル線の二つの顔を持った不思議なダイヤを持ち味としている(旅客の流動に関しても東京への通勤路線と北関東域内のローカル路線としての二面性を持っており、結城~宇都宮間の普通列車に限ると朝には下り宇都宮方面行き列車の方が上り列車よりも多い). さらに、奥武本線の関宿~白河間は沿線人口の少なさもさることながら列車本数も少なく、複線区間と単線区間が交互に現れるローカル幹線を特急や快速が駆け抜け、ダイヤもあまり規則的とは言えないのがJR地方幹線を思わせる. そして奥武本線ではそれでも1時間当たり快速と特急がそれぞれ1往復以上、普通列車も最低1-2時間に1本は設定されているのが、白河から先の磐岩線になると特急ないし快速のいずれかを合わせてようやく1時間1本程度と、磐越西線や仙山線などのJR亜幹線並みのダイヤに変貌している. そのさらに先、岩羽線や白田線、上岩線には美しい車窓とともに思わずこれは不便だ!と叫びたくなるような超閑散線の荒涼としたダイヤ風景が広がっているのだ.

 

実は白田線、上岩線というのは当初構想にはなく最後に付け足した路線である. 折角会津をブランドとして打ち出すなら会津盆地のみならず只見など奥会津地域をテリトリーに入れなければという思いがあり、白田線の白河~会津田島間などさすがに急峻な峠で非現実的だろうかなどと考えながらも線路を引いてしまった. 上岩線は南東北だと思って侮るなかれ、本州に残された最後にして最大とも言える秘境地帯を走っており、かつての国鉄深名線などを想いながらダイヤを引いていたら何と全線を同一日付内に往復できないダイヤが完成してしまった(!). 結果、もとより撮り鉄趣味で地方ローカル線を愛してやまない自分としてはこの上岩線が奥武線全線の中でも最もお気に入りの路線になっているのもまた思いがけなかったことである.

奥武鉄道の路線概要 位置関係を分かりやすくするためにできるだけ実際の地理的位置関係からずれないように沿線の主要駅、主要都市を並べて図示した

本社と支社を設置

 

ここまで路線を伸ばしたところで、路線が伸びすぎたため鉄道企業としての構成は本社+支社の構成とするプランを考えた. 特に観光事業に力を入れる会津地区と南会津地区にはそれぞれ営業支社を設け、首都圏南部の通勤輸送に力を入れる本社とは切り離す方針とした. 会津支社は会津若松に、南会津支社は南会津町の役場などもある田島地区に置くことを決定した. 本社に関して首都圏大手私鉄の本社所在地を調べてみると、京急、相鉄、東急、小田急、東武はほぼ起点駅近くの都心・副都心部(都内に乗り入れていない相鉄の場合は横浜市西区)にあり、一方で京王と西武、京成はそれぞれ多摩市、所沢市、市川市と、沿線の都市に置かれ企業城下町を形成している. ならば何も奥武鉄道の本社は都内でなくて沿線に企業城下町を設けるのも面白いかもしれないと考えた. 社史の設定を行う中でちょうど昭和9(1934)年に奥羽越鉄道と中山道電鉄が合併するという筋書きが出来上がったこともあって、奥羽越鉄道と中山道電鉄のランデブーポイントであり昭和9年に市制施行していた埼玉県の県庁所在地、また現代において東京を除く奥武線沿線では最大の都市である浦和を本社所在地に定めた. なお企業情報の設定にあたっては、本社、支社所在地ともに実在の地名を用いつつ、実在しない番地を振ることで妄想鉄としてのリアリティーの追及と実際の土地所有者の方々へご迷惑をかけてはならないという妄想鉄ならではの問題という、相反する要求の両立を図っている. 役員の名前は奥羽越鉄道の起業に関わった若松(現会津若松市)、喜多方に加えて奥羽越諸藩、また中山道電鉄を立ち上げた板橋、蕨や日光東街道鉄道の本社所在地として社史に登場する野田、またのちに奥武鉄道本社の置かれた浦和などゆかりの土地の歴史上知られた名字を用い、全て架空の人名として仕立てている. 当然、実在の人物は一人もいないし実在の人物との関係は一切ない. 

 

時刻表?車両?路線図?

妄想鉄、架空鉄道業界の中には車両のイラストをメインにしたもの、路線図のみを作っているもの、時刻表に力を入れているもの、ICチップカードなど周辺事業のリアリティを追求するものなど色々な力点の置き方がある. その中で奥武鉄道がどのようなジャンルに分類されるかと言えば、後述するように圧倒的に時刻表系(ダイヤ系)であると言わなければならないだろう. 実際、奥武鉄道構想が持ち上がった時にまず全身全霊を以て完成させたのが全線全時間帯のダイヤグラムであり、むしろ車両デザインなどは何のプランもなくウェブサイトを立ち上げる直前まで白紙状態であった. 友人の間でダイヤグラム、時刻表を(紙ベースで)紹介していたところ「やはり想像を膨らますためには車両のビジュアルが欲しい」という意見をもらい、まあそれもそうかな、いやはや面倒くさいなぁ(!)くらいに思っていた. 

車両ビジュアルを作るのが面倒でウェブ公開を渋っていたといっても過言ではないわけだが、別の趣味の方面の友人から「世界観をコンテンツ化してみては」との提案をもらったのが平成29年10月、さらに、近所の行きつけのカフェに集まる常連客仲間にクラフトマンシップ豊かな作家が多く自分も本職で自由な時間が限られる中ウェブ上でなら何かを発信できるかもしれないと思ったのも良いきっかけとなった(もちろん妄想鉄はあくまで自己満足の趣味であり生活の足しにすらならないわけだが). 平成29年11月に入ると一気にウェブサイトを作り上げ、併せてまあ車両ビジュアルくらい作らないといけないか…ということで前面デザインだけ間に合わせばかりにととりあえずのものを作ったという次第. 後述する実写写真の作成と並行して側面形状が何となく定まって行き、遅ればせながら側面形態のイラストの公開がおおよそ完了したのはウェブサイト開設から1年以上経過した平成31年春のことである. 

​サイト開設当時は車両の側面図はなく、サイト開設後1年以上経ってからやっと車両側面図が一応、揃った. 

撮り鉄と妄想鉄の融合

 

ウェブサイトを公開し始めた頃、職場の知人から「妄想鉄の写真を撮らないと!」という無茶苦茶な指示を拝命した. 当初案では車両のビジュアルイメージは拡充させるとしても全てデジタルイラストベースにする予定だったし、第一現実世界に存在しない鉄道の写真を撮るも何も…と思ってしまったのだが、振り返ればもとより私は大の"撮り鉄"であるから合成素材となる鉄道写真はいくらでもあるし、日本の美しい四季を走る妄想鉄のビジュアルイメージを実写で再現するというのもやってみたらなかなか面白いことに気づいた. 高度なCG技術を持ち合わせていない自分にとって、精細なCGによる車両イメージを公開する妄想鉄、架空鉄道サイトが乱立する中独自性を打ち出すには自分の得意分野である撮り鉄との融合もありだなと思うに至り、このサイトの一つの特色にしている. 奥武鉄道は「ダイヤ系架鉄」であるとともに「実写系架鉄」なのだ. 

奥武鉄道はこの業界でも代表的な実写系架鉄である

時刻表/ダイヤグラム、運用表、配線図の三位一体

 

素人の作った妄想鉄、架空鉄道というとダイヤグラムはほぼないというのが一般的なものらしい*. しかし私は実在の土地に敷かれた鉄道を妄想する上で、並行他社との競合を議論したり輸送密度を含めた路線のイメージづくりを行う上でも列車ダイヤは欠かせないものと思っている. そこで私の妄想鉄ではその中核的コンテンツとして全線全列車の時刻表、これに対応する全線全時間帯のダイヤグラムはもちろん、これが矛盾なく実現されるために全車両の車両運用も徹底して組んでありこれを運用表として公開している. 全ての車両は毎朝出庫し毎晩入庫するときちんと同じ場所に前日と同数が戻る配置になっており、定期的に検査に入るために同一車両は常に車両区と駅夜間滞泊を循環し、常に一定数の予備編成(これらは臨時列車にも使用される)が車両区に待機できるようになっている. こうして車両運用表を作成することで実際に必要な編成数も明らかになるため、恐らくこの手の妄想鉄、架空鉄道としては極めて稀な例として、各車両区ごと、全車種の保有車両数を公開するに至っている(閑散線区を多く抱えるため長大な距離数を考慮すると現実世界の大手民鉄他社に比べて単位距離あたりの車両保有数は少ないが). またダイヤグラム作成の前提として頭の中に描いている配線に関しても、全線分の公開を完了した. 時刻表作成のもととなる全線全駅間の距離や現実感を持たせるための運賃表が設定、公開されていることは言うまでもない. さらに季節による特急・快速列車の臨時停車や臨時列車の運転など、様々なイベント的要素も盛り込んで鉄道マニア専用、というのではない一般旅客的な楽しみ方にも対応できるようにしている. 

 

* https://wiki.chakuriki.net/index.php/ベタな架空鉄道の法則 

ウェブサイトを公開するにあたって

 

それまで一人で楽しんでいた妄想鉄を敢えてウェブサイトに公開することにしたのは、一つの鉄道が持つ風景、想像の中での鉄道旅行をコンテンツとして完全に視覚化するとともにパッケージ化し、奥武鉄道のサイトに来ればそこで期待した鉄道情景が豊かに広がるようにしようというのが動機である. それは一方で他者に見せるものであると同時に、やはりどこかで自分自身のもの、つまり鉄道模型のレイアウトに自らの理想の鉄道風景を追い求めるのと同様にこのサイト内に自らの脳内にある鉄道風景一式のコンテンツを建設しているという作業に他ならない. 実在の鉄道であるかのような現実感を演出するため、ウェブサイトの構成は極力現実の鉄道会社を参考にしており、よくある架空鉄道サイトと異なって、興覚めになりかねない「何もないところに架空の鉄道を妄想する」という視点、姿勢、サイト構成はこちらの「妄想鉄について」のページ中を唯一の例外として、一切排除してある. また架空鉄道作成用の地図テンプレートなども使用していない. 車両にも当然古いものが含まれるし、運賃も利用者視点の理想論ではなくこれだけ閑散区間を含む長大私鉄として現実的に経営できるラインを考えて設計している(そのためたとえば上岩線の運賃はJR只見線より高く、会津鉄道会津線よりは安いレベルになっている). ウェブサイトを立ち上げてからは、今度は近所の方々からも「動物駅長がいたほうが良いんじゃないか」とか「ゆるキャラはないの?」などと様々なリクエストを頂戴しており、自分一人では発想しえなかったコンテンツの拡大を見ているのも、嬉しい展開だ. どうか、いつでもここ「奥武鉄道」で北関東から南東北に広がる四季折々の潤う景色を想像しつつ、皆様の心休まる鉄道の旅を思う存分楽しんで頂きたいものである.

 

                          平成29年12月某日 管理人

                           平成30年7月某日 加筆

                           令和元年10月某日 加筆

サイネージ類にも独特のコンセプトを反映している.